不埒なドクターの誘惑カルテ
 今回も行く先々で、いろんな社員と会話をする先生。社員とのコミュニケーションも大事な仕事だ。だから先もって私が確認できるところは、確認するようにと次の行き先である営業部に向かった。

 日中、社員はほとんど外回りに出てしまっている営業部は、先月の職場訪問で改善してほしい箇所が何か所かあった。それにお客様の都合で仕事の時間が長時間になりやすい。労務的に考えれば少し問題のある部署だった。

 「失礼します」と声をかけて、まずは資料室の床におかれていた段ボールの整理が行われているかどうかを見た。先月よりも数は減っているようだったが、まだ残っている。

「はぁ。でもまぁ、一歩前進したってことで……」

 ぐるりと資料室を見渡して、ほかの場所もチェックし外に出ようと扉を開く。

 そこに何度か話をしたことのある、営業部の男性社員が立っていた。……たしか名前は、ダメだ……思い出せない。

「お疲れ様です」

 とりあえず挨拶を交わして、わきを抜けようとする。しかし彼が私を呼び止めた。

「待って、坂下さん」

「えっ? あ、はい」

 まさか呼び止められるとは思っていなくて、少し驚いた。

「ごめん、突然。あの、今ちょっといい?」

「はいっ。大丈夫ですよ」

 私が足を止めると、相手が一歩距離を縮めてきた。話をするだけなのに、こんなに近づく意味があるのだろうか。

 私は少し警戒しつつも、彼の話に耳を傾けた。

「坂下さんって、あの産業医とすごく仲がよさそうだけど、デキてるの?」

「は? そんなはず、ないじゃないですか」

 いきなりのぶしつけな質問に私は、一瞬にして不機嫌になる。それに私自身が思いを寄せているのは事実だけれど、そんな下世話な言い方はしないでほしい。

「ふーん、そうなんだ。だったら、俺とつき合ってみない?」

「えっ? どうして——」

「ははは。面白いね。興味があるからつき合いたいと思ったんだけど、それが理由じゃだめなの?」

 そんな軽い理由で男性とつき合うことはできない。過去のトラウマもある。それに——。

「ごめんなさい。私、好きな人がいるんです」

 今は、先生のことが好きだ。実るかどうかはわからないけれど、大切にしたい思いだった。

 しかし相手はそんなことくらいでは、あきらめないようだ。

「でも、つき合ってないんでしょ? だったら俺とつき合えば忘れちゃうよ」
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