不埒なドクターの誘惑カルテ
 山辺さんは運ばれてきた、トマトクリームのパスタを口にしながら迷いなく答えた。

「でも、自分の信念を曲げてもいいと思ったことはないの?」

 この質問には少し考えてから「ないですね」と答えた。

「そっか」

「でも、私にはそういう経験もないし、したいとも思いませんけど——でも、そういうふうになるのが、恋ってことでしょ。私はまだ経験していないだけ。私以外の人でも、まだ信念だのなんだの言ってるうちは、まだ恋をしていないだけなんじゃないですか?」

 彼女の言葉がストンと胸に落ちた。なんだか妙に納得できた。

「そっか、そうなんだ」

「そうですよ。だからって、私はそうなりたいとは思いませんけどね。人生は計画的に進めた方がいいですから」

 彼女はドライにそう締めくくった。

 ここまでの考えに至るまで、彼女にはなにがあったのだろうか。

 そして、また『誰ともつき合わない』と言いきった束崎先生にも、過去にそうなるだけの出来事があったのだろうか。


 その考えが頭をいっぱいにした。

「ほら、またうわの空ですか。せっかく高いランチ食べてるですから、おいしいうちに食べましょう」

「うん。ありがとう」

 私はお礼を言うと、彼女と同じく目の前に運ばれてきたパスタを口に運んだ。

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