不埒なドクターの誘惑カルテ

　及川さんのいうことは、最もだと思う。

「だけど、追いつめられていた彼女は大輔のそんな状況を理解することはできなかった。そのうちふたりには衝突が増え、彼女の精神状態がおかしくなっていったんだ」

　お互い最善を尽くしていたはずだ。けれど、一度狂い始めた歯車は、お互いの関係をどんどん悪いほうへと運んでいったに違いない。

「彼女は眠れない日々が続いたせいで、睡眠薬を常用していた。ある日それをいつもよりも多く摂取してしまったんだ。故意かどうかはわからないけどね。大事にはいたらなかったけれど、夜勤明けで駆けつけた大輔を、彼女は拒絶したんだ」

「そんな……」

　私は言葉を続けることができずに、唇をかみしめた。当時の彼らの思いはわからない。けれど想像するだけでも、胸が苦しくなる。

　深く深呼吸をして口を開いた。

「彼女は、今はどうされているんですか？」

　及川さんは、わずかに笑顔を浮かべた。

「別のやつと結婚して、幸せになってる」

　あぁ……よかった。その彼女がまた立ち上がるまでには時間がかかったに違いない。彼女が今幸せだと聞いて、ほっとした。しかし次の及川さんの言葉に、また驚くことになる。

「まぁ、その彼女って言うのは、僕の妹なんだけどね」

「うそ……」

「いや、本当だ。だからこそ、余計に大輔は自分を責めたんだと思う。僕にとっても大事な妹だったから」

「そうだったんですか」

　私が当時の束崎先生の気持ちが全部理解できるはずはない。けれど、想像するだけでも息苦しいほどの悲しみが体を駆け巡った。

「アイツが、産業医なんてやってるのはおそらく、妹みたいな精神を壊す人をひとりでも少なくするためだろうな。理由がどうであれ、大輔がやりがいを感じてやっているならとやかく言うことじゃない。けど……本気で恋愛をしないっていうのは、僕はちょっと違うと思う」

　私はどう答えればいいかわからずに、だまって話を聞いていた。

「妹はすでに自分の幸せを見つけて、前にすすんでいる。それなのに、アイツはいつまでも、過去を引きずって昔の自分を責めてるんだ。だから——」

「だから、なんだって言うんだ？」

　背後から声が聞こえて、私は後ろを振り向いた。

「つ……かさき先生」

　まさかここに本人が現れるとは思ってもいなかった私は、驚いて目を丸くした。