不埒なドクターの誘惑カルテ
何度か「坂下と呼んでください」と訂正をしたけれど、まったくいうことを聞いてくれない。「せっかくかわいい名前なんだから」と、私を呼ぶときは必ず下の名前だ。
訂正するもの疲れ、結局私は仕方なく『茉優』と呼ばれることを受け入れた。
そんな私の不機嫌など知ってか知らずか、私の隣を歩く男——束崎クリニックの院長で、我が社の産業医である束崎大輔(つかさきだいすけ)三十五歳は、鼻歌混じりで機変よく歩いていた。
産業医の仕事は多岐にわたる。そのひとつに作業環境の維持管理が目的の職場の点検がある。
以前の営業所でも、産業医の点検があった。事業所の規模が小さかったため回数は少なかったが、ご高齢の医師がやってきて私の淹れたコーヒーを「おいしいねぇ」と言うと、ニコニコと職場を見渡して帰っていった記憶しかない。
しかし本社のような大規模な事業所になると、毎月一度は産業医による職場点検が行われる。それは今日なのだ。
そして労務担当の私が、彼と一緒に職場を巡回して、社内の環境の改善点なのどの指摘をまとめ、各部署に改善を求めることになっている。
ミーティングスペースに先生を連れてきたときには、時間はすでに当初の予定より四十分も過ぎていた。
お互い席に着くと、私はすぐに作成しておいた資料を手渡した。それを受け取った先生は「ふ〜ん」と興味なさげにパラパラめくる。
「失礼します」
入口で声をかけて、女子社員が先生にお茶を出した。すかさずその社員に先生は話しかける。
「あれ? 見たことない顔だね。新入社員?」
「あの、ハイ。よろしくお願いいたします」
さきほど資料を読んでいたときとはうって変わって、彼女に興味津々の態度をみせる先生に、私はあきれた。
しかしそんな私の気持ちを知るはずもない先生は、まだ女子社員に話しかけている。
「そっか、君みたいな子がいるなんて、毎月の巡回が楽しみだな」
また始まった……この軽い感じどうにかならないのかな。
「ごほんっ」
放っておくといつまでも続きそうな会話を、私は咳払いで止めた。
ただでさえ始まる時間が遅くなっているのだ。これ以上時間を無駄にしたくない。
お茶を出し終えた女子社員が出ていくと、束崎先生がニヤリと笑い、私の顔を覗き込んできた。
「もしかして、やきもち? かわいいなぁ、茉優は」
「はぁ?」
訂正するもの疲れ、結局私は仕方なく『茉優』と呼ばれることを受け入れた。
そんな私の不機嫌など知ってか知らずか、私の隣を歩く男——束崎クリニックの院長で、我が社の産業医である束崎大輔(つかさきだいすけ)三十五歳は、鼻歌混じりで機変よく歩いていた。
産業医の仕事は多岐にわたる。そのひとつに作業環境の維持管理が目的の職場の点検がある。
以前の営業所でも、産業医の点検があった。事業所の規模が小さかったため回数は少なかったが、ご高齢の医師がやってきて私の淹れたコーヒーを「おいしいねぇ」と言うと、ニコニコと職場を見渡して帰っていった記憶しかない。
しかし本社のような大規模な事業所になると、毎月一度は産業医による職場点検が行われる。それは今日なのだ。
そして労務担当の私が、彼と一緒に職場を巡回して、社内の環境の改善点なのどの指摘をまとめ、各部署に改善を求めることになっている。
ミーティングスペースに先生を連れてきたときには、時間はすでに当初の予定より四十分も過ぎていた。
お互い席に着くと、私はすぐに作成しておいた資料を手渡した。それを受け取った先生は「ふ〜ん」と興味なさげにパラパラめくる。
「失礼します」
入口で声をかけて、女子社員が先生にお茶を出した。すかさずその社員に先生は話しかける。
「あれ? 見たことない顔だね。新入社員?」
「あの、ハイ。よろしくお願いいたします」
さきほど資料を読んでいたときとはうって変わって、彼女に興味津々の態度をみせる先生に、私はあきれた。
しかしそんな私の気持ちを知るはずもない先生は、まだ女子社員に話しかけている。
「そっか、君みたいな子がいるなんて、毎月の巡回が楽しみだな」
また始まった……この軽い感じどうにかならないのかな。
「ごほんっ」
放っておくといつまでも続きそうな会話を、私は咳払いで止めた。
ただでさえ始まる時間が遅くなっているのだ。これ以上時間を無駄にしたくない。
お茶を出し終えた女子社員が出ていくと、束崎先生がニヤリと笑い、私の顔を覗き込んできた。
「もしかして、やきもち? かわいいなぁ、茉優は」
「はぁ?」