不埒なドクターの誘惑カルテ
 しかし先生は何も言わずに、車を停めると運転席から降りて助手席のドアをあけてくれた。

 私はまだすわったまま、先生を見上げる。
「病院にいくんじゃなかったんですか?」

「あぁ、俺が診るから」

「え?」

「とにかく降りて」

 まごまごしている私の手を、先生が引いてくれた。左足をかばいながらゆっくりと降りると、車のドアを閉めた先生がそのまま私を抱きあげた。

「ちょ、ダメです! これは絶対ダメ!」

 工場でもかなり注目された。知り合いの多いこのビルならなおさらだ。

「茉優、あきらめろ。今日はお前の言うことを聞いてやる余裕がない」

「ダメですから、おろして」

 足をバタバタとさせて抵抗するが、先生はもろともせずエレベーターに向かう。私があまりにも騒いでいるせいか、その場にいた人たちの注目を余計に浴びてしまっている。

「本当にダメですか?」

「しつこいぞ」

 最後に懇願するように言ってみたけれど、今日の先生は頑なだった。私はあきらめて、できるだけ顔が見られないように、先生の肩に顔をうずめることしかできなかった。

 エレベーターに乗っているときも、先生は一度も私を下さず、私がやっと地に足をつけたのは、束崎クリニックの診察台の上だった。

「足、診せて」

 そういわれた私は、素直にパンツの裾をめくり先ほど応急処置された足を見せた。包帯を自分で外そうとすると、先生の手がそれを止めた。

「全部、まかせて」

 先生の長い指が、包帯をするするとほどいていく。湿布をはがすと、少し腫れた足首がでてきた。先生はゆっくりと私の足を動かす。

「これは、どう?」

「平気です」

「これ——」

「……っ」

「痛いか?」

 私がうなずくと、先生はゆっくりとさすってくれた。そのあと、何か所か確認をしたあと、念のためレントゲンをとったが、骨には異常はみられず捻挫という診断だった。

 一通りの診察が終わり、私は先生と向かい合って座っていた。

「他に痛いところは?」

「頭も打ってないですし、大丈夫です。ほら、私反射神経だけはいいんで」

 先生に笑ってほしくて言ったのに、先生の顔は真剣なままだった。

「冗談いってる場合じゃないだろ」

 しかも諫められてしまった。

「すみません、私の不注意で」

「茉優が謝るのは、そこじゃないだろ? どうして工場にひとりで行ったんだ?」

 先生の表情から、真剣に話をしていることがわかる。
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