不埒なドクターの誘惑カルテ
 いろいろと言いたいことを我慢していたせいか、思わず地がでてしまう。

 そんな私を見て、先生は声をあげて笑った。

「そんなかわいいやきもちなら、隠さなくてもいいから。もう少しふたりで話をしていたいけど、時間もないし行こうか」

 誰のせいで時間が押していると思っているのだろうか。私の作成した資料をろくに確認もしていない先生は、すでに立ち上がりミーティングスペースを出ようとしていた。

「ちょ、ちょっと待ってください」

 私は置いてけぼりをくらいそうになり、慌てて彼を追いかけたのだった。

 バインダーに職場巡回チェックシートを挟み、束崎先生の指示を書き留める用意をした。毎月これに印鑑をもらわなくてはならないのだ。

 真剣に聞き漏らさないように彼についていく。しかし、先月同様どうやら無駄になりそうだ。

 先生はチェックシートの項目などまったく無視して、好きなように職場巡回……というより、職場徘徊を始めた。

 まるでいつもその場にいるように、遠慮もせず社内を闊歩する。

「部長、最近ゴルフの調子はどうですか?」

 最初に捕まえたのは、総務部長だ。部長も手を止めて彼と談笑を楽しむ。そこに先ほどお茶を運んできてくれた女子社員が通ると、すかさず話しかけた。

「あ〜君はさっきの子だよね? お茶すごくおいしかったよ、ありがとう。どう、職場はもう慣れた?」

 入社して間もない彼女はいつも緊張した表情を見せている。しかし、束崎先生と話をしている今は、リラックスした笑顔を見せていた。

 自ら色々な社員に話しかける。山辺さんなんかは「先生、いつになったら合コンしてくれるんですか?」とわざわざ向こうから話しかけてきた。

 先生は我が社の産業医になったのは、私は本社に異動になる前の二月。まだ四か月くらいしかたっていないのに、こんなに馴染んでいて驚く。月に一度の訪問にもかわらず、同じ会社に勤める私でさえ、話したことのない社員の名前もしっかり憶えていた。

 どこの部署に行ってもそんな感じで、皆に気さくに話しかけている。もちろんこんな調子なので、チェックリストの項目がうまることなく、先生が飲み会二件、合コン一件、フットサルの試合一件を決めて、その日の巡回は終了した。
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