【B】眠らない街で愛を囁いて
「お待たせしました」
住職の言葉に、俺は静かに頭を下げる。
「叶夢の父です。
こちらが家内、その隣が母でございます」
「ご丁寧に有難うございます。
東京から参りました、泉原千翔と申します。
三月の折には、叶夢さんに浜松サービスエリアで困っていたところを助けていただき
それ以来、親しくさせていただいております」
そういって俺は鞄の中から、自身の身上書【しんじょうしょ】と家族書を取り出して、
ゆっくりとご家族の方へと手渡した。
「これは?」
「本日は、叶夢さんの大切なご家族の方にお許しいただきたくお邪魔させて頂きました。
私の身の上は、こちらに書き記している通りです。
お嬢さんと結婚を前提にしたお付き合いをさせていただければと思っております」
そうやって切り出すと、当然ながら叶夢のお父さんは少し険しいそうな表情をする。
叶夢のお母さんとお婆さんは、俺が差し出した身上書と家族書をゆっくりと開いて確認する。
そこには俺自身の名前、戸籍、職場など出生から今日までの情報が記されている。
そして家族書の方には俺自身の家族と、その職業が細やかに記されていた。
「まぁ……お父さん……」
叶夢のお母さんは驚いたように、俺に視線を向けると気難しそうな表情をしているお父様へと話しかけた。
「泉谷さん……本当にうちの娘で宜しいのでしょうか?
叶夢は東京から突然帰って来たものの、向こうで何があったのかは教えてくれません。
ですが……傍に居て、何かがあったことは感じています。
帰って来てから塞ぎがちな娘が、再び嬉しそうな笑顔を見せてくれると親としては
こんなに嬉しいことはありません。
ですが大手不動産の御曹司である泉原さんと、うちの叶夢で本当にいいのでしょうか?
叶夢が後で悲しむようなことにはなりませんか?」
叶夢のお母さんが心の底から、叶夢を心配して俺に真剣に向き合ってくれているのを感じた。
「お嬢さんを悲しませることのないようにいたします。
叶夢さんにはお家族の皆様のお許しを経て、正式にプロポーズさせていただきたいと思います」
そういって改めてお辞儀をした。
「どうぞ、お顔をあげてください。
お父さん、宜しいですね。
ずっと叶夢から電話があるたびに聞かされていた泉原さんがこうしてわざわざいらしてくださったんですよ」
お母さんが必死に説得するようにお父さんへと話しかける。
「千翔君だったかな。
娘を……お願いします」
その一言に俺は心から安堵した。
「千翔さん叶夢、あの向こうに居るはずなの。
案内するわ」
お母様に誘導されて母屋の建物を後にすると、
靴を履いてお寺の境内から自宅の庭の方へと向かう。
そこには先ほどは何段も上がり続けてきた階段とは違って、
ちゃんと車一台が通れそうな、細い道を確認することが出来た。
「この坂を下りて貰ってすぐ左へと曲がると、
川沿いを歩いてもらって、一つ目の橋を渡って、さらに山を登ってください。
その先に小さい頃から、叶夢が好きだった広場があります。
今頃、とらと、その場所で過ごしていると思います」
そういって、お母さんは俺に微笑んだ。
かっちりと着ていた夏用のスーツのシャツのボタンをはずして、
ネクタイを緩める。
ジャケットを脱いで腕へとひっかけると、言われた道程をゆっくりと歩き始めた。
すると橋を渡った頃から俺の視界の先に叶夢が歩いている姿を確認する。
「叶夢~」
大きく声を張り上げた。