ミツバチのアンモラル
 
 
「華乃が男に拐かされるとか、知られたらマジ恐ろしい。だから俺に連絡きたってのに……兄貴は馬鹿だから許せないだろうな」


男も俺も殺されかねない、と智也は心底呆れる。
確かに、圭くんに発覚を危惧してのことだったけれど……。
この兄弟、仲は悪くないのに酷な言いぐさだ。幼少の頃もべったりにならなかったのは、そのポジションを私が陣取ったからであって、もしかしたら、圭くんが今私に向ける愛情は智也が享受していたものかもしれないけれど。


「……お前、それ本気で言ってる?」


どうやら考察は声に出ていたらしい。


「わりと?」


「……アホだな」


まあ、今更どころか昔に戻ったとしても、譲ろうとは思わないけれどもね。




帰りの電車の中で、普段は嫌味を言ったり命令してくる智也が、珍しくこちらを慮ってくれる。人混みから庇ってくれるって本気か。明日は槍の雨が降るだろう。
本当に珍しい。これは優花の言っていた、パン屋の息子はどちらもいい男説が本物なのか? 普段マイナスの人間はプラスに転じるハードルが低いものだ。


「――、兄貴の過保護。華乃が嫌だったら俺にちゃんと言え。なんとかしてやる」


それともあれか……ちょっとトラブルで私が弱っていそうに見えたからなのか。そういう優しさは、ある。智也とは言い合いも多いから、なかなかありつけない事柄なのでよく味わっておこう。
すれ違う対向電車の風圧によって時折大きな音を立てる窓には、外界の景色は真っ暗で映らず、なんだか難しい顔をした智也と、それをガラス越しに呑気に見つめる私がいた。


「圭くんのしてくれること、嫌だと思ったことなんか一度もないよ」


「そう、か」


「悲しいなって思ったことは、ある」


「……そうか」


智也に、面と向かってこんな恥ずかしいことを言ったのは初めてだった。
隠せてもいなかっただろう気持ちと共に吐いた息が、ガラスを湿らせた。


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