偽りの婚約者に溺愛されています
彼はどこに行ったのだろう。ここで、私になにを話すつもりなのか。
ベッドにドサッと座る。
帯がきつくて、着物を脱ぎ散らかしたい衝動にかられるが、我慢する。
まさか、バスローブに着替えて待っているなんてできないのだから。
こうして彼とホテルに入って、部屋で待たされても、不思議なほどに警戒する気持ちが起きない。彼が私に対して、そんな気を起こすはずがないのをわかっているからだろう。
きっと、契約の話をするためだ。厳重に場所を選ぶのは、誰かに聞かれるわけにはいかないから。
窓のほうへと移動して、外の景色をぼんやりと眺める。恋人ごっこも、今日で終わる。
きっとこの部屋は、夜になると夜景が綺麗だろう。
彼とレストランから見た夜景も、まだ私の心の中で輝き続けている。きっとこの先も、色褪せることはないはずだ。
料亭から歩く彼に担がれたまま、近くのこのホテルに入った。
私を担いだままフロントでチェックインする彼と、その肩の上でぶら下がる、着物姿の私。
周囲は、そんな私たちに大いに注目していた。
その光景を思い浮かべ、今さら可笑しくなってくる。
普通なら何事かと思うだろう。まるでなにかのコントみたいだ。
「ふふふっ。ははっ」
ひとりで笑いながら、一方、修吾さんは今頃どうしているかを考える。桃華さんと、きちんと話し合えるといいなと心から思う。
愛し合っているならば、手を取り合い、一緒にいるべきだ。誤解でチャンスを不意にするなんて、一生後悔してもしきれない。
私もできることなら智也さんと、ふたりのような関係になりたいけれど、こればかりは願うだけではままならない。
始まりがあれば、終わりも必然的に訪れる。今となってはそれを受け入れることしか、私に選択肢はない。
相思相愛だなんて、神に選ばれたほんの一部の人だけの特権なのだろう。
愛する人に愛される可能性なんて、そう簡単にあるはずはないのだから。