偽りの婚約者に溺愛されています
お見合いを前向きに検討します
エレベーターの扉が開き、ようやく彼は、そっと唇を離した。
「すまない。……冷静じゃなかった。怖がらせたかな」
ひとこと言うと、再び私の手を握り歩き出す。
冷静ではないと言った彼とは裏腹に、私は冷静だった。怖いなんて思わない。むしろ、胸が高鳴るほどなのだから。
部屋に再び戻り、中に入る。
「飯を食べそびれたな。まさか桃華に会うとはな。ルームサービスでも頼むか?」
「いいえ。私はこのまま帰りますから。桃華さんにもそう言いましたし」
言いながら着物を拾い、抱える。
「……なにも言わないのか。聞きたいこともない?」
探るような視線で私を見つめる彼に、ニッコリと笑ってみせた。
「話すことなんてありませんよ。私たちの芝居は終わりました。桃華さんの気持ちも分かりましたし。私のほうの問題も解決しました。もう、いいです。もし……お金が迷惑なだけならば、どこかへ寄付でもしてください」
「お金?どういう意味だ」
真剣な顔で聞き返す彼に、私は笑顔のままで言う。
「さっきからずっと考えてました。お金を返したくて、依頼をしてきたんですよね。お金をあなたに渡したのは、私の自己満足だったかもしれません。智也さんの気持ちを考えもせずに、すみませんでした」
「今度はそんなふうに思い始めたか。君の頭の中には、いったいいくつのシナリオがあるんだ?」
「初めは、桃華さんと修吾さんが相思相愛ならば、桃華さんのために智也さんは身を引くつもりなんだろうと考えました。でも桃華さんは、修吾さんではなく智也さんを好きだった。そしたら、私さえいなければ丸く収まる」
彼は黙って私を見つめている。
「だったらあとは、智也さんが悩むことと言えば、お金の問題しかないですよね。このまま受け取るわけにも、返すわけにもいかないと思ったんでしょう?父にも知れたら困りますし」