偽りの婚約者に溺愛されています

「松雪さん。本当にいいですから」

声をかけても振り返らない。

ずっと彼を見つめてきたからわかっている。
いい加減なふうを装って、サボるとか言いながら、真剣に話を聞いてくれることを。
部下の小さな悩みすら、彼ならば放ってはおかないと。

だけど、なにを話せばいいというのか。まさか、あなたが好きだから、お見合いを迷っているとは言えない。
だんだんと彼の背中が遠ざかっていく。
このまま行かないわけにはいかない。
私は静かに立ち上がると、どうしたらいいかわからないまま、彼を追った。




そのまま二人でエレベーターに乗り込んだ。
いつもならば冗談を言ってくる彼が、今は黙っている。
まさか、私が好きだと思っていることに気づいたのかもしれない。そう思うと、緊張して足が震えてきた。
もし、ストレートに尋ねられたならば、なんとかしてごまかさないといけない。
だけど恋愛において百戦錬磨の彼は、私の嘘など容易く見破るのではないだろうか。そうなったらどうしよう。
そんなことを考えていると、エレベーターは屋上に到着した。

「屋上で話そう。今なら誰もいない」

彼はそう言いながら、途中にある自販機で缶コーヒーを二本買うと、屋上のドアを開けてそのまま外に出た。
私もそんな彼に付いていく。

「うーん。いい天気だな」

両手に缶コーヒーを握ったまま、松雪さんは身体を大きく伸ばした。

「思いきり汗をかきたくなる陽気だな。君はバスケをしていたんだろ?実は俺も、少しだけやってたんだ。まあ、下手だけどな」

「本当ですか?今度一緒にしましょう」

「嫌だよ。負ける勝負はしないと決めてる。下手だと言ってるだろ」

二人で笑い合う。
私の緊張が伝わったのだろう。話しやすい会話で緊張を解く彼の気遣いが嬉しい。

ようやくいつものふたりに戻った気がして、安堵の気持ちが心に広がった。


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