偽りの婚約者に溺愛されています
豪奢な外観や玄関付近とは裏腹に、部屋の中は家庭的な空間が広がっていた。

広く、豪華な家具が置かれてはいるが、社長夫妻が彼女を特別な環境で育てたわけではないことがわかった。

こたつのテーブルの上には、蜜柑の入った籠があり、ほっとくつろげるようなリビング。それは一般的な家庭の様子と何ら変わらない。
彼女の原点が、ここにあるような不思議な気持ちになる。控えめで、威張るような態度を見せたこともない。常に自分に厳しく、人には優しい。

「こちらへ」

社長に、奥のソファへと座るように案内され、それに従う。

「夢子。松雪さんがお見えだぞ」

俺が座ると、社長が大きな声で言った。

「はーい」

彼女の声が聞こえ、同時に廊下をパタパタと走る足音がする。

「夢子、静かに歩きなさい。ホントにあなたは落ち着かないわね」

「うるさいなぁ。わかったわよ」

母親とおぼしき声も聞こえ、そのやり取りに俺はクスッと笑った。
その瞬間に社長と目が合う。

「すみません。つい」

笑うのをやめて詫びると、彼は優しい笑顔で首を横に振った。

「知っての通り騒々しい娘で、君にも迷惑をかけるよ」

「いえ。そんなところも可愛いですよ。とても」


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