恋愛預金満期日 ~夏樹名義~
「えっ。頼んでいませんけど……」
 彼がマスターの顔を見て言った。


「彼女、仕事帰りでお腹空いているでしょ? 男ならそのぐらい気を使わなきゃ!」


「あっ。すみません」
 彼は私に謝った。

 この人はどれだけ、お人好しなんだ……
 最後まで私に頭を下げて……


「いえ。そんな……」


 そんな私達を見ていたマスターが口を開いた。

「お話しが聞こえてしまって…… 今夜で最後なんですね。これは私からのお礼です」
 マスターがにっこり笑った。


「えっ、お礼?」
 彼が驚いてマスターに聞いた。


「彼女が来るようになって。木曜日だけいつもの三倍の売り上げなんですよ。常連の皆さんがあなたの来るのを楽しみにしいてね。もう少し、二人で食事でもしたらどう?」


「あっ。私は何もしていないのに。ありがとうございます」

 私はマスターや常連のお客さん達の気持ちが嬉しかった。

「飲み物はいかが致しますか?」
 マスターが尋ねた。


「僕はジンジャーエールで……」

「私はアイスティー」

「はい。かしこまりました」

 マスターはカウンターへ向かったが、くるりと向きを変えてこちらを見た。


「余計な事とは思いますが…… 海原さん、彼女が帰るのを待っていればいいじゃないですか?」

「えっ」
 彼はマスターの顔を見た。


「彼女以上の人は簡単に現れませんよ。きっと、明日も明後日も一年たっても、あなたは彼女の事思っています。それなら、待っていた方がいいんじゃないですか? 彼女が帰って来た時、彼女の気持ちが変わってしまっていれば、その時諦めればいい…… 余計な事を……」
 マスターは頭を下げ、カウンターへ戻った。


 私は本当に余計な事をと思った。
 私がやっとの思いで諦めた事なのに…

 これ以上、彼を困らせる訳にはいかない。

「頂きましょうか」
 

 私はパスタを皿に分け始めた。
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