H ~ache~
Prologue
華やかな場で周囲に悟られないように息を吐く女に声をかける男がいた。
「お疲れのところ申し訳ありません…少しお休みになっては?」
仕立ての良いスーツを着た男は、心配そうに女の顔を見た。
「あともう少しだから…遅れて来たのに席を外す訳にはいかないわ」
女が控えめに笑うと、男は声かけるとその場を離れた。
「あまり無理はなさいませんように」
「ありがとう…」
女は気をとり直すと、目が合った男性に笑みを浮かべて軽く会釈をした。
「こんな綺麗なお嬢さんがいたとは…」
じろじろと厭らしい目で見る男の社交辞令に、笑みで返すと背後から女の肩を抱く男性がいた。
「娘を口説かないでくださいよ?」
さりげなく娘と呼んだ女性を厭らしい視線から遮り、舐め回すような視線から逃れた女性は父の背に庇われて周囲に気づかれないように息をついた。
厭らしい目を向けていた男は、男性に媚びるように笑いかけた。
「いやー、先生!ご活躍はいつも拝見しています」
社交辞令と腹のさぐりあいの会話を聞き流していた。
視線を感じそちらを見ると、鋭い視線をぶつける婦人がいた。
(自分が呼んでおいて…勝手な人)
パーティーに呼んでおきながら、父親と話していると不機嫌になる。
それなら呼ばなければいいのに。視線を逸らしながら苛立ちをごまかす様に笑みを浮かべ、父親の話し相手に相槌をうった。
先生と呼ばれた男は娘の顔を覗きこんだ。
「環、忙しいのに無理をしたんじゃないか?」
「遅れてごめんなさい」
相変わらず整った顔だと半ば呆れながら、自分の父の顔を見上げた。
年相応より若く見える環の父はパーティー会場にいる女性から熱い視線を送られている。
それに気付いているのかいないのか…来賓の誰と話すよりも楽しそうに自分と話をする父親。
環は父の背中越しに自分を睨み付ける女と再び目が合ったが、それを無視した。
「そんな事は気にしなくていい…最近は忙しくて顔を見られないからな。後でゆっくり話をしよう」
恰幅の良い男性が父に紹介を求めているのを見ると、父親にまた後で、と声をかけてその場を離れた。
「遅れて来るなんて非常識ですよ」
「申し訳ありません」
化粧室の鏡越しに睨まれ、鋭い言葉をぶつけられた。
「早く化粧を直して会場に戻って頂戴」
パーティーへ出席するように言われた時に、仕事が入っていて出席出来ないと伝えていた。
遅れてもいいから顔を出せと言われ、スケジュールを詰め込んでここへ来た。
(自分で言った事を都合良く忘れるのね…本当に嫌な人)
「貴女の取り柄はその顔だけなんですからね、せいぜいお父様の役に立ててもらわないと困るわ」
環は鏡越しに女に向かって微笑んだ。
「父と母に似ている事が役に立っているのは嬉しいですわ、お継母様」
「生意気ね!」
化粧道具をクラッチバッグにしまい、攻撃的な視線をかわし、化粧室を出た。