H ~ache~

「今日はありがとうございました」

料亭を出て礼を言うと、寄るところがある。とついて来るように言われた。

「何処に行くんですか?」

エレベーターホールで早瀬に聞くと、早瀬は何でもないかのように答えた。

「オレの執務室だ」

(オレの?…このホテルも早瀬さんの持ち物?この人、凄い人だったのね…)

早瀬が放つ威圧感とオーラを理解できたような気がした。

ホテルも持っていると聞いていたが、ここもそうだとは知らなかった環は、改めて後ろを振り返り品の良い雰囲気のラウンジを眺めた。

「環、エレベーターが来た」

早瀬に呼ばれエレベーターに乗ると、ふと忘れようと決めた事を思い出した。
思わず顔が熱くなり、忘れようと首を横に振った。

「スイートに泊まったのか?」

「え?」

唐突に聞かれ、何の事か分からずに聞き返した環は早瀬の顔を見上げた。

(…まさかね、そんな偶然があるわけがないわよ)

「…」

「忘れたのか?」

ニヤリと笑う早瀬に、偶然というものが存在することを知った環は、考えが上手くまとまらないまま、また首を横に振った。

「部屋には寄らずに帰りました」

「待っている男がいたんじゃないのか?」

「…そんなんじゃありません。あの部屋は父がとっていた部屋です。酔って具合が悪くなった私に休むようにとキーを渡しただけです」

エレベーターが最上階に止まり、早瀬に腕を引かれて廊下へ出た。

「父親?…ああ、あの日は及川代議士のパーティーがあったな」

(知っていたんだ…)

環は早瀬の背中を見ながらフロアの一番奥にある部屋へ連れられるまま入った。



(凄い…綺麗)

窓から素晴らしく綺麗な夜景が広がっていた。
圧倒されていると、早瀬はデスクに置いてある書類を手にした。

「早瀬さん…」

自分にキスをしたのはなぜなのか?
聞きたかったが、振り返った早瀬の顔を見ると言い出せなかった。

「なんだ?」

「…いえ、いつもここでお仕事をされているんですか?」

「そういう日もある。気に入ったか?」

「綺麗な夜景ですね」

環は窓辺に近寄り、ライトアップされた東京タワーを眺めた。





環の住むマンションまで送ってもらい車を降りようとすると、早瀬は環の右手を握り自分に引き寄せた。

(キスされる…)

早瀬のキスを受けると環は目を閉じてそれに応えた。

「オレを忘れるなよ?」

早瀬の顔をマジマジと見ると、左手で環の頬を撫でた。

「分かったか?」

「…はい」


大きくて暖かい手だった。
環はエレベーターに乗り、握られた右手を眺めていた。

(あの人が会長だったなんて…色々な事がありすぎ…)
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