H ~ache~
札幌での出張は何時も通り、何の問題もなく終った。
しかし、天気が荒れて飛行機が何便か欠航し、環は予定よりも大幅に遅れて羽田についた。
(リムジンバスの最終も終わった…)
タクシー乗り場へ急いだが、そこは長蛇の列だった。
(もう、近くのホテルに泊まろうか…)
疲れ果てていた環は、空港に連結しているホテルへと向かった。
「申し訳ございません、あいにく満室となっております」
(皆考えることは同じか…仕方ない、始発が出るまで待つか)
歩き回るのも億劫になり、辺りを見ると、環と同じように帰るのを諦めたビジネスマン達がロビーの椅子で時間を潰していた。
(もう、ここでいい。動きたくない…)
空いている席を探しているとポケットに入れていた仕事用のスマートフォンが震えた。
知らない番号に、こんな夜中に誰だと思いながらタップした。
「及川です」
『オレだ』
電話での声もずっと聞いていたくなる美声。
名乗らずに、オレだというあたりがあの人らしいと妙に納得した。
「どうかしましたか?何か問題でも…」
『何かあったのはおまえだろう』
「え?」
『こういうときは次の日のフライトで帰ってこい』
叱るように言われ、不服に思うよりも前に疑問に思った。
何故早瀬は自分が飛行機に乗ったことを知っているのか…
『今何処にいる?』
「出発ロビー……あ、早瀬さん」
柱の陰から現れた早瀬を見つけると、スーツケースを手に取り、彼の方へと向かった。
早瀬も環を見つけると、手にしていたスマートフォンを胸ポケットにしまい、こちらへと歩いてきた。
「どうしたんですか?」
「迎えに来たに決まっているだろ。…ここで朝まで過ごすつもりだったのか?」
相変わらず叱るような口調に環は肩をすくめて俯いた。
皆が同じ事をしているのにどうして自分は叱られるのか…
「ホテルは満室だしタクシーは乗れそうにないし…」
最後まで言い終わらないうちに早瀬は環の頭をくしゃりと撫でると、環の手からスーツケースを受け取った。
「行くぞ」
手を引かれて早瀬の後に続いた。
(今が何時か分かってる…はずよね?夜中の2時なのに迎えに来てくれたの?)
連れて来られた駐車場に停まっていたのは、いつも迎えに来る黒塗りのベンツではなく白のBMWだった。
「乗れ」
スーツケースをトランクへ入れると、助手席のドアを開けて乗るように促した。
(運転手がいない…一人で来たの?)
早瀬は運転席に乗ると車を走らせた。
街灯の灯りが早瀬の横顔を照らすのを環は窓越しに見ていた。
「環…今度同じような事があったら無理をして帰るな」
「でも、仕事が…」
「ロビーで朝まで過ごすのは危ないだろう」
子供に言い聞かせるように叱る早瀬に、環は納得いかなかった。
「皆同じ事をしているのに…」
「お前は女で、周りからどう見えるか自覚しろ」
気にしていた容姿の事を言われ、環は唇を噛んだ。
ふいに指先で唇を撫でられ、驚いて顔をあげると早瀬は自分を見ていた。
「噛むなと言っただろ」
前方を見ると、路肩へ停止しており、早瀬は唇を撫でていた手を環の肩に回し、自分に引き寄せた。
目の前に冷たい美貌が迫ったと思った瞬間に唇が重ねられた。
環が噛んでいた下唇を舌でなぞると、僅かに開いた唇に早瀬は舌を差し入れて環の口内を愛撫した。