H ~ache~
(福岡に!?…ココに?…)
一人残された環は、手で顔を覆って落ち着こうと試みたが、それは無駄な労力だった。
(…無理よ。落ち着ける訳がないわ)
顔を上げると、深呼吸をして書類を手にした。
(仕事しよ…)
考えても答えが出そうにも無いとき、それを放棄し、仕事に逃げる悪い癖がある。
今回も考える事を放棄した環は、一人で仕事を再開させた。
「失礼いたします」
ドアがノックされ、男が入ってきた。
この男も何処かで見たことがあるような気がしたが思い出せず、環は立ち上がり出迎えた。
「早瀬様、どうぞ」
男が頭を下げ、早瀬が部屋に入ってきた。
相変わらずの美貌とオーラに、環は一瞬見とれた。
頭を下げていた男が環を見、環は男の催促するような視線に早瀬に向かって頭を下げた。
「お疲れ様です…」
こんな遠くまで、と言いかけて言葉を飲み込んだ。
「…悪かったな、疲れているだろう」
環の側まで歩み寄った早瀬は、スルリと頬を撫で、心配そうに見つめた。
(人がいるのに恥ずかしい…)
僅かにできている目の下のクマを労るように涙袋を親指で撫でた。
側に控えていた男が僅かに目を見開いたが、すぐに感情の読めない表情へ戻った事は早瀬も環も気づかなかった。
「何日休んでいない?」
(本当の事を言ったら怒られそう…)
どう答えたら当たり障りが無いかと考えていると、早瀬に視線で促された。
「まだです…」
そう答えると早瀬は眉間にシワを寄せ、側についていた男に声をかけた。
「ホテルをチェックアウトさせろ」
(誰のホテル?…私の?)
「私なら帰りません」
早瀬を見上げ、キッパリと言い切った。
「何?」
「やりかけた仕事を放り出して帰るのは嫌です」
「必用なものを運ばせれば東京でも出来るだろ。それにお前がやらなくてもアシスタントがいるだろう」
環を心配しての言葉だったが、環は首を横に振って抵抗した。
「できなかったと思われるのは嫌です。このまま仕事を続けます」
(仕事の事は譲らない…)
毅然と早瀬を見上げて言う環を、早瀬は厳しい顔で見下ろした。
「意地を張るな。休みなく働いて倒れたらどうする?」
「倒れません」
高梁に、それみたことかとバカにされるのが嫌だった。
自分を見上げる環の目が、絶対に帰らないと訴えており、早瀬は小さく息を吐いた。
「…好きにしろ。あいつらを呼び戻せ」
側についていた男が部屋から出ていくのを見届けると、環は俯いた。
(怒らせたかな…でも、仕事のことは譲れない)
早瀬は環の頬に手を伸ばした。
柔らかく手触りの良い感触が気に入っていた。
「環」
俯いていた顔を上向きにされ、環は早瀬と目を合わせた。
「…おかえりなさい、予定が空けられなくてすみません」
「お前が悪いわけではない、気にするな…仕事のことは任せる。だが、明日から2日は休め。いいな?」
「ありがとうございます」
早瀬の腕に手をかけると、早瀬は形の良い唇を環の唇に重ねた。