プラス1℃の恋人
「それから須田」

「は、はいっ」

「お前、客の不安をあおるような言い方をするんじゃねえ」

「え?」

 千坂の叱責が、今度は青羽に向かう。

「確保が難しいと言ったそうだが、なにもしないうちから、だめだと決めてかかるな。そもそも顧客のミスじゃない。全面的にこっちが悪いんだろうが」

 頭のてっぺんからつま先まで、一気に震えが走った。
 千坂の言葉は厳しいものではあるが、もっともなことなので反論の余地はない。

「すみませんっ!」

 だが、青羽に怒りを向けるのは見当違いだということに千坂も気が付いたらしく、そのあとは語気を弱めた。

「おまえが言ったことは正しい。だが、正論だからといって、なにを言ってもいいわけじゃない。俺たちの仕事は商品を流通させることだが、そこにいるのは人間だ。人が相手の仕事なんだ」

 青羽の仕事相手は、パソコンの画面の向こう側。
 電波でつながっているだけの遠い異国の人達だと思っていた。
 ただ紹介文を英訳し、サイトにアップしたら、それで終わり。

 だが、それは違った。

 商品ひとつに、たくさんの人の手がかかっている。
 作り手、流通させる人、実際に商品を販売する店員、そして、手に取ってくれるお客さま。
 仕事というのは、いつだって人対人で成り立っている。

 たとえ長い付き合いのある取引先であっても、「お付き合い」で仕事を任せてもらえるほど甘い業界ではない。
 ほんの些細な出来事がきっかけで、手を引かれてしまうことだってある。

 新規の客ならなおさらだ。誠意を尽くし、信頼関係を築く。
 この会社は、そうやって大きくなった。

「たとえ商品の確保が難しくても、誠意を尽くしたという実績を残せば、絶対に信頼関係は崩れない。いまならまだ間に合う」

 千坂の言葉に、背中がしゃんとする。

「なにか私にできることはありませんか?」

「俺はいまから宮城の工場に出向いて直接交渉してくる。須田は正確な在庫数の把握。数の確認ができたら俺の携帯に連絡してくれ」

「わかりました」

 発注していた数量が多いのなら大量の在庫を抱えるだけで済む。
 会社の損害には間違いないが、不足するよりマシだ。

 だが、ひとつの銘柄を5000本そろえるのは、やはり相当難しい。
 地ビールは、商品によっては極端に生産量が少ないものもある。

 新しく仕込みをするといっても、ビールは発酵飲料だ。
 最短でも醸造期間は2、3か月。瓶詰め、ラベル貼りのことも考えると、もっと時間がかかる。


 それぞれが自分の責務を果たすために持ち場に戻る。
 青羽は流通業者をリストアップし、片っ端から電話をかけた。

 希望の銘柄は、米どころ宮城の地ビールで、大きな賞を取ったこともあるらしい。
 もしかしたら、在庫もそれなりにあるかもしれない。
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