プラス1℃の恋人
 男はふたたび口を開いた。

「これはエディブルフラワーといって、食べることのできる花なんです」

「へえ~」

 スプーンで掬い取ったゼリーの上にバラの花をのせ、思い切って口に入れてみる。
 その瞬間、口のなかがバラの香りで満たされた。

「おいしい!」

 はじめて食べるバラの花の食感は、まるで想像とは違っていた。
 やわらかくて適度な歯ごたえがあり、上品な葉物野菜を食べているみたいだ。

 男は、そんな青羽を見て目を細める。

「千坂さんが、女性を連れてくるなんて意外でした」

「え?」

 千坂主任の知り合いなのだろうか。
 だとすれば、どこかで顔を見たことがあるというのも、あながち間違いではなさそうだ。
 取引先の人間とも、ときどき顔を合わせることがある。

 でも、こんなに端整な顔をした相手なら、絶対に忘れないと思うのだが……

 すると席に戻ってきた千坂が、「仁科さん、こちらにいらしたのですか」と、男に向かって深々と頭を下げた。
 やはり千坂の知り合いだったらしい。

 千坂は別の席を用意してもらうよう、ホールスタッフを呼ぼうとしたが、仁科はそれを制し、千坂と青羽のあいだにあった空席に座った。

「今日は突然お呼びだてして、申し訳ありません」

 頭を下げられたほうの男は、「いえいえ、とんでもない」と、上品だが親しみやすい笑顔で答えた。

「先日提案した件ですが、考えていただけましたか?」

「そうですね……まだ検討中です」

 ビジネスの話?
 それに、千坂が彼を呼んだって。

 どういう状況なのかわからなかったが、なんだか自分がひどく場違いな気がした。
< 50 / 98 >

この作品をシェア

pagetop