愛し君に花の名を捧ぐ
 広間で会ったときとは違い、リーリュアたちが着ているものとはまったく形の違う、全体的にゆったりとした服装をしている。

『でも、あんな緩い条件でいいんですか? 陛下がお怒りになられるのでは』

 快活な少年が珍しく眉を曇らせた。

『私がまたお叱りを受ければ済むこと。どんなに愚鈍と罵られたところで、本当のことだ。痛くも痒くもない』

『苑輝様……』

『もし気に入らないのなら、廃太子でも死罪にでも好きになさればいい。ほかに後任がいるのならな』

 リーリュアには話している内容はまったくもってわからない。だが、あの皇太子の浮かべた笑みが、とても辛く寂しそうに見えた。


『ところで、あそこの仔リスはどうしましょう』

 二組の双眸が、一斉にリーリュアが隠れている枝に注目する。
 どくんと胸が鳴り、その大きさに驚いて片足が滑った。

「あっ!」

 木の葉と一緒に靴が片方落ち、声が漏れる。口を塞ぎたくても、両腕は必死で幹にしがみついているので無理だ。

 木の真下までやってきて見上げた苑輝の目と、驚きと恐怖で瞬きを忘れたリーリュアの瞳が合う。

『これはまた、ずいぶんと大きな仔リスだ。さあ、おいで』

 リーリュアを受け止めようとしているのか、両手を大きく広げている。
 彼女が精一杯がんばって登った枝も、彼にとっては高く手を伸ばせば届くような位置だったのだ。

 リーリュアがふるふると頭を振ったのは、言葉がわからないからだと察した少年が、ニヤニヤしながらアザロフの言葉で話す。

「この城の姫さんたちは、みんな木登りが趣味のおてんばなんですか?」

「そ、そんなことないわ! アリーシャ姉さまは、とっても優しくっておしとやかよ!」

 自分の失態で、これから嫁ぐ姉にケチがついてはいけない。咄嗟に弁解したというのに、少年はつまらなそうな顔をした。

「それは残念。オレは姫さんみたいに、元気がいい跳ねっ返りのほうが好みなんですけど」

「なによ、それっ!」

 木の上と下で己の理解できぬ言葉を使って口論を始めた年少者たちに、苑輝がしびれを切らす。

『剛燕《ごうえん》。姫君に、早く降りるように言ってくれ。なにか起きてからでは事だ』

 剛燕と呼ばれた少年は小さく肩をすくめると、口に手を添えリーリュアに向けて叫ぶ。

「姫さん! 苑輝様が受け止めてくれますから、怖がらずに思い切って飛び降りてください。それとも、上までお迎えに伺ったほうがよろしいですか?」

 からかい混じりの声音がわかり、さっきから続いていた手足の震えがピタッと止まる。

「怖くなんかないわ! 行くわよ?」
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