愛し君に花の名を捧ぐ
 いいかげん目眩を覚え始めたその動きが、強制的に止められた。地面に膝をついた苑輝の掌がリーリュアの両頬を挟んで、涙の膜が張る翠色の瞳を覗き込む。

『もし私の言葉が気に障ったのなら申し訳ない。この通りだ』

 頭を下げた苑輝から、謝っているのだと理解した瞳がまた大きく揺れた。

『だが、嘘を言ったわけではない。姫の髪はたわわに実った麦穂のようだし、瞳の緑も田畑の豊かな収穫を思わせる。とても美しいものだ』

 ちらりと横目で「早く正確に訳せ」と剛燕に合図を送る。

『殿下。もうちょっと色気のある例えを……。と、はいはい』

 途中で苑輝に目を眇めて凄まれ、剛燕はごほんと咳払いをして姿勢を正した。

「姫さんの髪は太陽の光のように輝いているし、瞳の色だって初々しい若葉みたいでとっても綺麗だよ。だから泣かないで、と仰せです」

 リーリュアの視線は、真偽を確かめるように苑輝と剛燕の間で往復を繰り返す。それが苑輝に戻ったとき、彼は大きく頷き剛燕の言葉を肯定した。
 それにリーリュアも頷き返す。

「あのね。町に黒い煙がたくさん見えたとき、とっても怖かったの。兄さまが怪我をしたって聞いて、死んでしまったらどうしようって思ったわ」

 すんでのところで堪えていた涙が、最後に大きな一粒となり頬を伝う。それは地面に落ちる前に、苑輝の親指によって拭われた。

「あんな思いをするのはもういや。戦なんか止めて、仲良く暮らせるようになればいいと思う。だって、みんなおんなじ“人”なんだもの」   

 リーリュアは小さな手を握り、涙が消えた眼で苑輝を見据える。

「あなたは……苑輝様は、そんな世の中にしてくれる?」

『……無駄な争いなどせず、民の穏やかな生活を守ることが、上に立つ者の務め。常に私はそう肝に銘じている』

 今度こそは一字一句相違なく訳して両者に伝えた剛燕の表情が、苦いものを飲み込んだように歪み、年の割に大きなたこのできている手を握りしめていた。
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