愛し君に花の名を捧ぐ
 だが、その苑輝の厚意はリーリュアには届かなかった。

「苑輝様とお会いしてからの十年間、葆を訪ねることばかりを考えていました。自分が生まれ育ったアザロフとはまったく違う国。どんなものを食べ、どんな音楽があって、どんな暮らしをしているのだろう。そして、苑輝様はどのような国を創られたのか。この目で耳で確かめてみたくて、アザロフにできた葆商人たちの商館に通い、言葉も教えてもらいました」

 それでこれほどまでに言葉を流暢に扱えるのかと納得すると同時に、どうしてそこまでして葆にこだわるのかという疑問も生まれる。

「それなら気の済むまで滞在し、国内を観て回られるといい。必要なら案内役も付けよう」

 きっと生国とはまったく異なる文化を持つ葆に興味を持ったのだ。苑輝はリーリュアの熱を、そう結論づけた。

 どこからともなく大きなため息が聞こえてきた。主を辿れば、剛燕が顔を手で覆い天井を仰いでいる。

 不審に思う苑輝の元へつかつかとリーリュアが近寄り、机越しに見下ろした。彼女の不敬を諫めようと、控えていた者たちが色めきだつのを、剛燕が視線を投げて制す。

 こんなふうに正対されるのは、ずいぶんと久しぶりだ。皇帝の座に就いてからは、傍若無人な剛燕にさえ距離を置かれているような気がしている。
 苑輝の口元に自嘲と諦念の笑みが薄く浮かんだ。

 途端にリーリュアの瞳が揺れる。

「わたくしは、あなたの妻になりたいのです」

 切なげに眉を寄せた彼女から吐息とともに零れた願いは、苑輝の耳に届くまでに消え入りそうに小さく、聞き間違えたのだとさえ感じた。

「先日も、先ほども告げたとおり、その話は今回の件に関わりのないこと。姫にはお父上が相応しいお相手をみつけてくださるだろう」

 ぐっと、さらにリーリュアの眉根が寄る。ふるふると駄々をこねるように振られた頭の歩揺が、繊細な音を立てた。

「でしたら、あらためて縁組を結んでください。わたくしは、苑輝様と結婚がしたいのです」

 誤解しようがないほどはっきりと聞こえた内容に、苑輝は頭を抱えてしまう。二十歳になると聞いたが、蝶よ花よと育てられたゆえに浮世離れしているのかもしれない。

「どうやら姫君は、婚姻をままごとかなにかと勘違いしているようだ」

 嘆息混じりで咎めると、リーリュアは柳眉を逆立てた。

「そんなことありません! 一緒に復興を始める城下を眺めたあの日から、ずっと……ずっと苑輝様のことを想い続けていたのです。決して中途半端な気持ちで葆へ来たのではありません!」

 苑輝の視界の片隅に、笑いを堪えているのか肩を振るわせる剛燕の背中が目に入る。目を潤ませたリーリュアは湯気が上りそうなほど顔を真っ赤にし、細い首から胸元にかけての雪のように白い肌も紅を刷いたように朱に染まっていた。
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