愛し君に花の名を捧ぐ
 開く直前の桃の蕾を思わせる可憐な様子は、むしろ苑輝の心を冷静に導く。これから美しい咲く花を手折るのは、自分であってはならない。

「やはりなにもわかっていない。この私の妻になり後宮の住人となることが、どういう意味をもつのかを」

「知っています! それもすべて受け入れた上でお願い申し上げたのです」

 一歩も引かず机に手をつき身を乗り出してきたリーリュアに、苑輝はしばらくの逡巡ののち、冷ややかに言い放った。

「そこまで言うのなら、望み通りあなたを後宮に入れよう。ただし、これ以降は葆の言葉以外を話してはならない。それから、あなたについてきた者たちは全員故郷へ帰すこと。これらの条件を呑むのならば、だ」

 勢いを収められずにいるのだろうと踏んだ苑輝が無理難題を示す。案の定、前のめりだったリーリュアの身体から力が抜け、目が泳ぎ始めた。

「君主の妻となるということは、一生をかけ国に身も心も捧げるということ。それくらいの覚悟がなくては務まらぬ」

 世間知らずの王女なら、これで目を覚まして諦めるに違いない。気落ちするであろう彼女を慰める役目は、ここへ連れてきた責任で剛燕に引き受けてもらおう。

 苑輝はふたりに退室を促そうと片手をあげた。その右手が宙で静止する。
 スッと背筋を伸ばしたリーリュアが、見様見真似で覚えた葆式の礼をしたのだ。

「承知いたしました。供の者たちには、支度が調い次第アザロフへ発ってもらいます」

「姫さんっ! 陛下、なにもそこまでしなくても」

 それまで成り行きを見守っていた剛燕がたまりかねて口を挟む。

「いいのよ、剛燕。故郷に家族を残してきた者も多いわ。先にわたくしが気づいて、帰してやるべきだったのです」

 凜と張られたリーリュアの声に、もう迷いは感じられない。いまは、彼女にこれ以上なにを言っても無駄だと悟った苑輝は、おもむろに立ち上がった。

「方颯璉をこれへ。思悠《しゆう》宮を用意させよう」

 侍従を呼び寄せ皇宮の奥にある離宮の名を告げると、再び剛燕が苦い表情になる。

 少々荒療治になるが、このくらいしないと跳ねっ返りの姫君を、無事親元へ返すことはできないだろう。
 苑輝は一足早くやってきた夏の嵐に、深いため息をついた。

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