愛し君に花の名を捧ぐ
第三章 幽宮
◇ ◇ ◇
ここが煌びやかな皇宮の中なのかと疑うほど喧噪から離れた、木々の緑が深い場所まで案内される。
「こちらが本日より西姫様のお住まいとなる思悠宮です」
そう言って颯璉が示した建物を、リーリュアはあんぐりと口を開けて見上げた。
建物の名を記してある扁額は大きく傾き、大風で吹き飛びそうだ。瓦葺きの屋根には青々とした雑草が茂り、小さな花を咲かせているものもある。
それほど大きくもない建物の周りを一周すると、風に揺れギイギイと音を鳴らす外れかけた戸や、野ネズミが開けたらしい小さな穴もみつかった。
「本当に、ここに住めるの?」
「一通りのものは揃えさせていただいておりますが、万一ご入り用なものがありましたらお申し付け下さい」
色褪せた扉を開けると、差し込んだ陽光で薄暗い室内に舞う埃がよく見える。
奥から現れたニ名と荷車を引いてきたふたりの宮女たちが、手分けしてリーリュアの荷物を運び込む。彼女の身の回りを世話するために用意された者は、これで全員だ。
アザロフからついてきてくれた侍女たちは、昨日、葆の宮処を去った。
皆は突然告げられた別れに涙してくれたが、祖国に帰ることへの喜びもたしかに感じられ、複雑な内心を隠して見送ったことを思い出したリーリュアに苦笑が浮かぶ。
そんな中、最後まで帰らないと言い張っていたキールは、二度目の謁見の際、その場にいて抗議できなかったことをずっと悔やんでいた。延々と皇帝に対してアザロフ語で怨嗟の声をあげていたのを、窘めなければならなかったほどだ。
『姫様。やっぱり一緒に帰りましょう』
別れ際に手首を強く握られ、それを引き剥がすのに、力も気力もずいぶんと使ってしまった。
「わたくしだって、本当の姉弟のように思っているキールと別れるのは辛いわ。でも、これはわたくしが望んだことなの。お願い、わかって」
たぶんこれが今生の別れになるのだろう。そう思えば当然の如く目の前がかすむ。一方のキールは唇を噛みしめ、なにかを言いたそうな表情をしていた。
「父さまや母さまたちによろしくね。「リーリュアは遠い空の下でもみんなの幸せを祈っています」って伝えてちょうだい」
『そんなこと、自分で伝えればいい』
最後の最後までアザロフ語で通したキールは、皇帝の勅書を受け取った大使として通ることの許された、皇城の正門である南大門から城外へ出る。伸びる大路の往来に姿が消えるまで見送っていたリーリュアを、とうとう一度も振り返らなかった。
ここが煌びやかな皇宮の中なのかと疑うほど喧噪から離れた、木々の緑が深い場所まで案内される。
「こちらが本日より西姫様のお住まいとなる思悠宮です」
そう言って颯璉が示した建物を、リーリュアはあんぐりと口を開けて見上げた。
建物の名を記してある扁額は大きく傾き、大風で吹き飛びそうだ。瓦葺きの屋根には青々とした雑草が茂り、小さな花を咲かせているものもある。
それほど大きくもない建物の周りを一周すると、風に揺れギイギイと音を鳴らす外れかけた戸や、野ネズミが開けたらしい小さな穴もみつかった。
「本当に、ここに住めるの?」
「一通りのものは揃えさせていただいておりますが、万一ご入り用なものがありましたらお申し付け下さい」
色褪せた扉を開けると、差し込んだ陽光で薄暗い室内に舞う埃がよく見える。
奥から現れたニ名と荷車を引いてきたふたりの宮女たちが、手分けしてリーリュアの荷物を運び込む。彼女の身の回りを世話するために用意された者は、これで全員だ。
アザロフからついてきてくれた侍女たちは、昨日、葆の宮処を去った。
皆は突然告げられた別れに涙してくれたが、祖国に帰ることへの喜びもたしかに感じられ、複雑な内心を隠して見送ったことを思い出したリーリュアに苦笑が浮かぶ。
そんな中、最後まで帰らないと言い張っていたキールは、二度目の謁見の際、その場にいて抗議できなかったことをずっと悔やんでいた。延々と皇帝に対してアザロフ語で怨嗟の声をあげていたのを、窘めなければならなかったほどだ。
『姫様。やっぱり一緒に帰りましょう』
別れ際に手首を強く握られ、それを引き剥がすのに、力も気力もずいぶんと使ってしまった。
「わたくしだって、本当の姉弟のように思っているキールと別れるのは辛いわ。でも、これはわたくしが望んだことなの。お願い、わかって」
たぶんこれが今生の別れになるのだろう。そう思えば当然の如く目の前がかすむ。一方のキールは唇を噛みしめ、なにかを言いたそうな表情をしていた。
「父さまや母さまたちによろしくね。「リーリュアは遠い空の下でもみんなの幸せを祈っています」って伝えてちょうだい」
『そんなこと、自分で伝えればいい』
最後の最後までアザロフ語で通したキールは、皇帝の勅書を受け取った大使として通ることの許された、皇城の正門である南大門から城外へ出る。伸びる大路の往来に姿が消えるまで見送っていたリーリュアを、とうとう一度も振り返らなかった。