愛し君に花の名を捧ぐ
第四章 孤独
 額に張り付いていた髪がそっと除けられる。顔の汗を拭うひやりと冷たい布が気持ちいい。
 この丁寧な手つきは颯璉だろうか。紅珠だったら、もっと遠慮がちのはずだ。それに……。

 微かに届く香りが、リーリュアの重い瞼を持ち上げさせた。
 薄暗い部屋の寝台で開けた目に映った顔が、発熱でぼんやりしていた意識を覚醒させる。

「……陛下っ!?」

 からからの喉から出た声は酷く掠れていた。飛び起きようとして頭を持ち上げると、目の前がくらりとする。

「無理をするな」

 苑輝がリーリュアの肩を軽く押せば、力の入らない身体は呆気なく寝台へと沈む。

「どう……し、て?」

 ほとんど息だけのような声で投げかけた疑問に、苑輝は苦笑いを浮かべた。

「西姫が死にそうだと、あの颯璉が血相を変えて飛んできた」

「そんな、大袈裟です」

 侍医の診断では、疲労と夏負けだといわれている。長旅からの環境の変化で疲れが溜まっていたところへ、長時間蒸し暑い屋外を歩いたせいだろうとのことだった。

「ああ。まんまとあれの小芝居に騙されたらしい。慌てて来てみれば、西姫はいびきをかいて眠っていた」

「う、嘘です」

 リーリュアは上掛けを頭の上まで引き揚げる。その上から、苑輝が笑い声をたて頭を撫でた。

「預かりものの姫になにかあったら、そなたの父君に申し開きができない。帰国に備えしっかり養生するがいい」

 早くも立ち上がろうとした苑輝の深衣の袖を、リーリュアは無我夢中で掴んで引き留める。そのまま腕を首に回してしがみついた。

「なぜです? どうしてわたくしではダメなのですか? 髪や目の色が違うから? この国の者ではないから、皇帝の妻として相応しくないとおっしゃるのですか?」

 それはどんなにリーリュアが努力しても、覆しようのないことだった。

 急に起き上がり興奮したために息を荒くするリーリュアの背中を苑輝がさすって宥め、再び静かに横たえる。
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