愛し君に花の名を捧ぐ
◇ ◇ ◇
「皇太后様が?」
「はい。ぜひに、との仰せでございます」
突然思悠宮を訪れた使いの女官が恭しく頭を下げる。リーリュアは、皇太后の宮である静稜《せいりょう》宮に招かれたことへの返答に困惑していた。
指示を仰ごうとしても、方颯璉は少し前に前朝へ呼ばれて不在である。
体調が戻ったリーリュアは、何度か颯璉から皇太后の話を聞き出そうとしたのだが、病気療養中だとしか教えてもらえていない。
もしこの場にいたら、彼女はどう返事をするのだろうかと考え、これはまたとない機会ではないかと思い至る。
「わかったわ。支度をするので、少し時間をもらえるかしら」
リーリュアは女官を待たせて、皇太后を訪問するための身支度を調えた。途中で侍女たちから「本当に行くのか」と不安げ確認されてしまった。正直なところ、静稜宮の庭でみかけた曹皇太后の姿を思い出すと、いまでも背筋がぞくりとする。しかし、なにひとつ進展しない現状をどうにかしたいという想いが勝った。
紅珠を伴い、用意されていた輿に乗せられる。思い返せば、リーリュアが後宮に入ってから、誰かを訪ねるなど初めてのことだった。
先日はずいぶん遠くに感じた宮には、近道があるのか緊張していたせいか、思いのほか早く到着した。
輿の上のリーリュアの姿を見た守衛が少し驚いたようだが、女官が意図を告げるとすんなり通される。当然の如く、建物にどこも壊れたところなどなかった。
女官に案内され内に進むが、この宮も思悠宮同様に人気が少ない。皇帝の実母が、いくら病気とはいえこのようにもの寂しい場所を住まいにしているのはどうしてなのか。
落ち着きなくあたりを見渡しているうちに、天井から幾重にも紗が垂らされた奥に人いることに気づく。
数段上に据えられた長椅子の肘掛けにもたれるように座しているのは、先日庭でみかけた老女――曹皇太后だった。
「皇太后様。西姫様をお連れいたしました」
女官の声でリーリュアは我に返る。颯璉から教えられたとおりに拝跪し、口上を述べた。
立ち上がる許しが出ないので不審に思っていると、衣擦れが近づく。下げたままの視界に、裙の裾が入ってきた。
「そなたと会うのは二度目ですね」
リーリュアの真上に落とされた声は、皇太后の見た目よりも張りがあって若い。
「さあ、お立ちなさい。ともに庭でも散策でもしましょう」
だがリーリュアの白い手をとる皇太后の骨張った手は、染みとシワの浮いたものだ。強く握られ思わず顔をしかめると、皇太后の口角が緩やかに上がった。
「いまはちょうど芙蓉が盛り。ついていらっしゃい」
衣の裾を引きずりながら、身体を左右に振りゆっくり歩きだす。戸惑うリーリュアを女官が目線で促した。
「皇太后様が?」
「はい。ぜひに、との仰せでございます」
突然思悠宮を訪れた使いの女官が恭しく頭を下げる。リーリュアは、皇太后の宮である静稜《せいりょう》宮に招かれたことへの返答に困惑していた。
指示を仰ごうとしても、方颯璉は少し前に前朝へ呼ばれて不在である。
体調が戻ったリーリュアは、何度か颯璉から皇太后の話を聞き出そうとしたのだが、病気療養中だとしか教えてもらえていない。
もしこの場にいたら、彼女はどう返事をするのだろうかと考え、これはまたとない機会ではないかと思い至る。
「わかったわ。支度をするので、少し時間をもらえるかしら」
リーリュアは女官を待たせて、皇太后を訪問するための身支度を調えた。途中で侍女たちから「本当に行くのか」と不安げ確認されてしまった。正直なところ、静稜宮の庭でみかけた曹皇太后の姿を思い出すと、いまでも背筋がぞくりとする。しかし、なにひとつ進展しない現状をどうにかしたいという想いが勝った。
紅珠を伴い、用意されていた輿に乗せられる。思い返せば、リーリュアが後宮に入ってから、誰かを訪ねるなど初めてのことだった。
先日はずいぶん遠くに感じた宮には、近道があるのか緊張していたせいか、思いのほか早く到着した。
輿の上のリーリュアの姿を見た守衛が少し驚いたようだが、女官が意図を告げるとすんなり通される。当然の如く、建物にどこも壊れたところなどなかった。
女官に案内され内に進むが、この宮も思悠宮同様に人気が少ない。皇帝の実母が、いくら病気とはいえこのようにもの寂しい場所を住まいにしているのはどうしてなのか。
落ち着きなくあたりを見渡しているうちに、天井から幾重にも紗が垂らされた奥に人いることに気づく。
数段上に据えられた長椅子の肘掛けにもたれるように座しているのは、先日庭でみかけた老女――曹皇太后だった。
「皇太后様。西姫様をお連れいたしました」
女官の声でリーリュアは我に返る。颯璉から教えられたとおりに拝跪し、口上を述べた。
立ち上がる許しが出ないので不審に思っていると、衣擦れが近づく。下げたままの視界に、裙の裾が入ってきた。
「そなたと会うのは二度目ですね」
リーリュアの真上に落とされた声は、皇太后の見た目よりも張りがあって若い。
「さあ、お立ちなさい。ともに庭でも散策でもしましょう」
だがリーリュアの白い手をとる皇太后の骨張った手は、染みとシワの浮いたものだ。強く握られ思わず顔をしかめると、皇太后の口角が緩やかに上がった。
「いまはちょうど芙蓉が盛り。ついていらっしゃい」
衣の裾を引きずりながら、身体を左右に振りゆっくり歩きだす。戸惑うリーリュアを女官が目線で促した。