愛し君に花の名を捧ぐ
しかし唐突に息が楽になる。咳き込みながら、なんども深呼吸して、身体に空気を送り込んだ。
ようやく落ち着きどうにか顔を上げたリーリュアがみつけたのは、皇太后の手を払いのけ、間に入った苑輝の背中だった。
「……なにをなさっているんです」
鋭い目を向ける苑輝の顔を見留めると、地面に倒れていた皇太后は、表情を一変させる。
「陛下! お待ち申し上げておりました」
驚くほどすっくと立ち上がり頬を赤らめ声を弾ませる様は、つい今し方、リーリュアを殺めようとしたことなど忘れたのか、娘のように明るい。
「なぜ西姫がここにいるのです」
「ご覧下さいまし。今年も芙蓉が綺麗に咲きましたわ」
咎める苑輝の声は皇太后まで届いていない。しなだれかかり胸に頬を寄せる母親を押し退け、苑輝はまだ立ち上がれずにいるリーリュアに手を差し伸べた。
震えの止まらない手をのせると、苑輝はリーリュアを抱き起こし、全身に痛ましげな視線を走らせる。
彼女を背に庇うようにして、再び皇太后と正対した。
「母上。西姫になにをしようとしたのです」
抑えきれていない怒気を孕んだ声に、皇太后の眉がびくりと跳ねた。
「私より、そのような異国の小娘がよろしいとおっしゃるのですか?」
「母上!」
「皇后である私よりも、この世のものとは思えない、気味の悪い色の髪と目をした娘のほうがよいと?」
「母上! 私は父上ではありません。父上はもうおりません。あなたが……」
苑輝は皇太后の両肩を指が食い込むほど強く掴んだ。きょとんとする母親の目を真正面から捕らえた。
「母上が父上を殺したのです」
駆け寄ってきた紅珠に支えられて立つリーリュアが、驚きの事実を聞いて目を見張る。
「あなた自身が、あなたの夫、琥宗達を……殺害した」
皇太后の目がこれでもかというほど大きく見開かれた。両手を頭に添え、駄々をこねる幼子のように首を左右に大きく振る。髷がほぐれ乱れた髪が、白粉を塗り重ねた顔を覆う。
乾いた唇から呻きとも叫びとも取れない声が発せられる。地の底から湧く幽鬼の怨嗟のようで、リーリュアを支える紅珠の手も震えていた。
その声が徐々に高笑いへと変化する。皇太后は干涸らびた指先で苑輝を指し両の口角を吊り上げた。
「苑輝よ。そなた、だれのおかげで今の地位があると思うておる? 私がそなたの代わりにこの手で道を浄めてやったからではないか。それを払うと申すか」
「私は、頼んでなどおりません」
苦渋の色を濃くする苑輝に向けられた哄笑が、雲ひとつない空に響く。
「望んでおったのであろう? 先帝の崩御を。父親が死ねばよいと!」
両手で硬い拳を作る苑輝を鼻先で笑い、皇太后は声も出せずにいるリーリュアを睥睨して尖った顎を反らす。
「そなたもあのような異国の娘に入れ揚げ、己の身を潰すつもりか? 国を傾けるのか?」
「この姫は関係ありません」
なお謗りの言葉を吐き続ける母に背を向け、苑輝は紅珠に寄りかかるようにしてやっとの思いで立っていたリーリュアを抱き上げる。
「……それに私は、父上とは違います。あの人のようにはならない」
ぎりりと奥歯を噛みしめる音まで聞こえそうに顔をしかめる苑輝に抱えられたまま、リーリュアは静稜宮をあとにした。
ようやく落ち着きどうにか顔を上げたリーリュアがみつけたのは、皇太后の手を払いのけ、間に入った苑輝の背中だった。
「……なにをなさっているんです」
鋭い目を向ける苑輝の顔を見留めると、地面に倒れていた皇太后は、表情を一変させる。
「陛下! お待ち申し上げておりました」
驚くほどすっくと立ち上がり頬を赤らめ声を弾ませる様は、つい今し方、リーリュアを殺めようとしたことなど忘れたのか、娘のように明るい。
「なぜ西姫がここにいるのです」
「ご覧下さいまし。今年も芙蓉が綺麗に咲きましたわ」
咎める苑輝の声は皇太后まで届いていない。しなだれかかり胸に頬を寄せる母親を押し退け、苑輝はまだ立ち上がれずにいるリーリュアに手を差し伸べた。
震えの止まらない手をのせると、苑輝はリーリュアを抱き起こし、全身に痛ましげな視線を走らせる。
彼女を背に庇うようにして、再び皇太后と正対した。
「母上。西姫になにをしようとしたのです」
抑えきれていない怒気を孕んだ声に、皇太后の眉がびくりと跳ねた。
「私より、そのような異国の小娘がよろしいとおっしゃるのですか?」
「母上!」
「皇后である私よりも、この世のものとは思えない、気味の悪い色の髪と目をした娘のほうがよいと?」
「母上! 私は父上ではありません。父上はもうおりません。あなたが……」
苑輝は皇太后の両肩を指が食い込むほど強く掴んだ。きょとんとする母親の目を真正面から捕らえた。
「母上が父上を殺したのです」
駆け寄ってきた紅珠に支えられて立つリーリュアが、驚きの事実を聞いて目を見張る。
「あなた自身が、あなたの夫、琥宗達を……殺害した」
皇太后の目がこれでもかというほど大きく見開かれた。両手を頭に添え、駄々をこねる幼子のように首を左右に大きく振る。髷がほぐれ乱れた髪が、白粉を塗り重ねた顔を覆う。
乾いた唇から呻きとも叫びとも取れない声が発せられる。地の底から湧く幽鬼の怨嗟のようで、リーリュアを支える紅珠の手も震えていた。
その声が徐々に高笑いへと変化する。皇太后は干涸らびた指先で苑輝を指し両の口角を吊り上げた。
「苑輝よ。そなた、だれのおかげで今の地位があると思うておる? 私がそなたの代わりにこの手で道を浄めてやったからではないか。それを払うと申すか」
「私は、頼んでなどおりません」
苦渋の色を濃くする苑輝に向けられた哄笑が、雲ひとつない空に響く。
「望んでおったのであろう? 先帝の崩御を。父親が死ねばよいと!」
両手で硬い拳を作る苑輝を鼻先で笑い、皇太后は声も出せずにいるリーリュアを睥睨して尖った顎を反らす。
「そなたもあのような異国の娘に入れ揚げ、己の身を潰すつもりか? 国を傾けるのか?」
「この姫は関係ありません」
なお謗りの言葉を吐き続ける母に背を向け、苑輝は紅珠に寄りかかるようにしてやっとの思いで立っていたリーリュアを抱き上げる。
「……それに私は、父上とは違います。あの人のようにはならない」
ぎりりと奥歯を噛みしめる音まで聞こえそうに顔をしかめる苑輝に抱えられたまま、リーリュアは静稜宮をあとにした。