愛し君に花の名を捧ぐ
◇ ◇ ◇

 苑輝には五つ違いの兄がいた。

 兄は先帝の血を濃く受け継いだのか血気盛んで、皇太子という立場にあるにもかかわらず前線に立つことも厭わない。苑輝はそんな兄を気遣い、常に傍らに立ち彼を助けた。ごく普通の、仲のよい兄弟のはずだった。

 しかしその関係は、いとも簡単に壊される。ときおり見受けられた兄の短慮と向こう見ずさを危ぶんだ臣下の間で、「苑輝を皇太子に」との声があがり始めたのだ。

 もとより苑輝にそのような意志はなく、変わらず戦場に赴く兄に付き従っていたある日。苑輝は背中に大怪我を負い戦線を離脱する。そして療養している間に、兄の戦死の悲報が宮処に届けられたのだ。

 己が側を離れたばかりにと悔やみ、兄の死を悼んでいた苑輝は、さらに辛い現実を知ることとなる。敵から受けたはずの傷は、廃太子を恐れた実兄が手を回した刺客によるものだった。

 傷心の中にあっても、新たな皇太子として父帝の暴政を食い止めるために尽力し、度重なる戦による被害を少しでも減らすため、可能な限り前線にあり続けた。

 ところが、その父が急逝したのである。


「そなたには考えられぬだろう? 父親が死んでほっとした、など」

 これでもう、戦で民を苦しめなくて済む。己の手で父親を弑するようなことにはならない。
 そう安堵した苑輝の複雑な胸の内を告白されても、リーリュアにはなにも言うことができなかった。どんな言葉をかけたところで、上辺だけのものになってしまうのは明白だった。

「だがそれも、ほんの束の間だった。父は母に毒殺されたのだと知ってしまったのだ」

 ああ、とリーリュアはそれまで詰めていた息を吐く。どんなに呼吸しても胸が苦しいのに、苑輝はまだ追い打ちをかける。

「積もり積もっていたものもあったのだろう。ただ、きっかけはアザロフの王女を連れて帰らなかった私に、父帝が激怒したことだった」

「姉さま……を?」

「すでに妃嬪は両手でも足りないほどいるのに、まだ女を欲しがるのか、と。地位も冨も女として最上のものを手に入れたはずの母が、会ったこともない我が子より若い姫への嫉妬に狂った末の凶行だった」

 痛いくらい早鐘を打つ胸を押さえても、リーリュアの鼓動は収まらない。このまま壊れて止まってしまうのではないか。

「しかも、母が手にかけたのは父だけではない。後宮《ここ》でその地位を盤石たるものにするため、異母兄を退け私を帝位に就かせるためにも、少なくはない者たちを……」


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