愛し君に花の名を捧ぐ
第一章 回顧
 石壁を四角くくり貫いた小さな窓から、踏み台を使って外を覗いたリーリュアは息が詰まる。
 高台に建つアザロフの王城から見渡すことができる城下町のいたるところで、黒い煙がくすんだ空に向かって昇っていたのだ。人々が煮炊きするためのものでないことは、その異様な色からも一目瞭然である。

 そして、煙の数以上にはためいている群青と深紅、二種類の旗。そのどちらも、緑を基調とするアザロフのものではない。

「姫様っ! 失礼します」

 部屋に飛び込んできた近衛兵がリーリュアの小さな身体を抱え上げた。

「どこへいくの? 母さまたちは?」

 固く口を引き結んだまま廊下を早足で進む近衛兵の逞しい腕の中から、厳しく引き締まった顔を見上げて訊いてみても、応えてはくれない。
 やがて物々しい警備の兵たちが入り口を塞ぐ一室へと連れて来られた。
 彼はリーリュアを中へ押し込むように入れると、自分は外に出て固く扉を閉ざす。

「リーリュア!」

「母さま! 姉さま!」

 今朝も顔を合わせたばかりなのに、もう幾日も会っていなかったかのように親子は抱き合い互いの無事を確かめる。
 リーリュアは輪の中に、この部屋の主がいないことに気がついた。

「父さまはどこ?」

 国王の執務室の広さはたかが知れている。少し首を巡らせれば、父の不在は一目瞭然だった。

「父さまはいま、兵を率いて城下に……」

 悲痛に眉をひそめた母の代わりに、一番上の姉が教えてくれる。城下といえば、先ほど黒煙が上がっているところを目の当たりにしたばかりだ。

 風に乗り窓から喧噪が届くたび、王妃と三人の娘、そして剣を取るにはまだ幼いリーリュアのすぐ上の兄は、身を固くする。
 王妃は、いよいよとなればこの部屋に備えられている秘密の通路から裏山へと逃げよ、という王の指示を、いつ決行すべきかを苦悩しているようだ。
 城を捨てるということは、国民を、夫と息子たちをも捨てることになるのだから、無理もないだろう。

 時間の感覚さえわからなくなるほどの、緊迫した時が流れる。


 ふと、リーリュアは母の腕の中から抜け出し、姉の制止も聞かず窓に近寄った。耳をそばだてても、あの背筋の凍るような音が聞こえてこない。

 勝敗が決したのだろうか?
 父王は? 兄王子たちは無事なのだろうか?

 不安を抱えて再び身を寄せ合っていると、荒々しく扉が叩かれた。

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