愛し君に花の名を捧ぐ
「きゃあ!」

 甲高い大きな音と女官の悲鳴が殿舎に響く。大慌てで声がした方へ行ってみると、青い顔をした女官と床に座り込んでいる紅珠がいた。

「いったい何事です」

 険しい顔の颯璉が怒りを抑えた声で問い質す。いきなり紅珠が叩頭した。

「も、申し訳ございません。西姫様への贈り物の品を落としてしまい……」

 床に額を押しつけたまま紅珠が押し出した木箱の中で、青磁の碗が粉々に割れていた。
「あら」とかがみ込んだリーリュアが中へ手を伸ばそうとした箱が、さっと移動する。

「お止めください。お怪我をされたら大変です」

「怪我をしたのは紅珠、あなたでしょう? この前負った火傷がまだ治っていないのに無理したからではないの?」

 昇陽殿にくる直前に熱湯で火傷したという手からはまだ薬の匂いがして、厳重に包帯が巻かれていた。

 リーリュアは蓋を颯璉に見せて、中身の確認する。

「これは貴重な品なのかしら? だれからのもの?」

「ここまでになってしまっては私には判別しかねますが、銘が確かだとしてもそれほど高価なものではないかと……。門下省の湯謙保《とう けんほ》殿からのようです」

 書付に目を走らせた颯璉は、大きく嘆息して紅珠を見据えた。いくらたいした価値があるものではないといっても、皇后候補へ贈られた品だ。それなりの処罰は必要となる。

「紅珠。最近のあなたは注意力の散漫が目につきます。そのようなことでは、西姫様のお世話を任せることなどできません」

「待って! 颯璉」

 まさか解雇を言い渡す気か。焦ったリーリュアが止めに入る。

「壊れてしまったものは仕方がないわ。その、湯とかいう者には、私の名で礼状を届けておいてちょうだい。「結構な品をありがとう」とね」

「ですが」

 無難に事を収めようとするのを、颯璉は快く思わないらしく苦い顔をする。しかし見ず知らずの官吏には悪いが、リーリュアには顔面蒼白で震えている己の侍女のほうが心配だった。

 箱に蓋をして、紅珠の視界から無残な姿になった碗を隠す。

「こういうものって、いつかは壊れるのよ。その時期が少し早まっただけ。でもそうね、紅珠には反省はしてもらわないといけないわ」

 リーリュアは指先を唇に添えて悩む素振りをしてから、艶然と微笑む。

「ではこうしましょう! 火傷が治るまでの仕事は、わたくしのお話相手をすること」

 ますますもって颯璉の表情の険しさが増したが、リーリュアは上機嫌で決めてしまった。
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