愛し君に花の名を捧ぐ
 怒号と悲鳴が聞こえる。登っていく黒い煙で、曇り空のように暗い。逃げ惑う人々。だらりと下げた腕から血を流す兄。そして、大きく切られた背を天に向け地に伏しているのは……。

「苑輝様っ!」

 リーリュアは自分の叫び声で目が覚めた。しかし開いているはずの目の前は真っ暗で、耳の奥にはまだ助けを求める悲鳴が残る。

 止めどなく溢れる涙が頬を伝い枕を濡らし、全身の血が涙に変わって流れ出てしまったのではないかと思い始めたころ、寝台の覆いくぐってくる者がいた。

 ぽつぽつと点けられた灯りが、訪問者の正体を教える。するとまた新たに浮かんだ涙で、その姿がぼやけてしまう。

「……百合」

 そうリーリュアを呼ぶのは、この世でたったひとり。

「苑輝様。……紅珠は?」

 訊かなくてもわかりきっていることだが、それでも確認せずにはいられなかった。予想通り、苑輝は頬の涙を拭いながら首を横に振る。
 リーリュアはしばらく瞑目すると、ふらつく身体をゆっくりと起こした。深呼吸して、気遣わしげな苑輝を見据える。

「教えてください。いったいなにが起きたのかを」

「しかし……」

「わたくしは、彼女から家族を奪った国の王族として、この葆の皇后になる者として、すべてを知っておきたいのです」

 リーリュアの決意は揺るがない。ごまかすことを諦めた苑輝は、ところどころ言葉を選びながら、己の死を覚悟していた紅珠が遺した書からもわかった、事の次第を説明した。

「丹紅珠の父親は工部の官吏だった。先帝の東征で広がった領土の調査のため軍に同行していた際、あの戦に巻き込まれ、見習いとしてついてきていた長子とともに命を落としたそうだ」

「武人ではないのに、前線にいたのですか?」

 リーリュアが発した疑問に、苑輝の表情がいっそう曇る。

「あのときは、西国の裏をかき、急いで王都へ回り込むため、山に詳しい者が必要だった」

 山の地形に明るい工部の者に助けを求めたのは、指揮を執っていた苑輝だ。
 直接手に掛けた敵国の王族として。図らずも巻き込んでしまった将として。やるせない想いを抱えたふたりの間に沈黙が流れる。

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