愛し君に花の名を捧ぐ
終 章 誓詞
 雷珠山から吹き下ろされる初夏の風が白い花を揺らす。その様はまるで楽を奏でているかのようだ。
 現に、優しく郷愁を誘う歌声が、どこまでも続く空に向かい広がっていた。

「今年は咲いたか」

 歌が止み、夫の姿を見留めたもう一輪の百合が花開く。

「去年は、食いしん坊の女官に根をほじくり返されたりして災難でしたけれど」

 今度は楽しげな笑い声が天に昇る。

 リーリュアが後宮の主となった年に、苑輝は園庭の一画にアザロフから取り寄せたユリの球根を植えた。しかし土が合わないのか、気候が違うためかなかなか上手く育たず、この夏にようやく三株だけが花をつけたのだ。

「出歩いて大丈夫なのか?」

 苑輝に腰を支えるように抱かれ、リーリュアは肩に頭を乗せて寄りかかる。

「今日はいままでが嘘のように気分がいいのです。食事も摂れましたし、この子に歌を聴かせてあげようと思って。――ちゃんと歌えていました?」

 微かに膨らんできた腹に掌を添え、子守歌の師でもある夫に尋ねた。

「ああ、私より上手い」

「よかった。将来の皇帝陛下が音痴になっては困りますもの」

「べつに構わんと思うが……。それよりも、もう男子と決まったのか?」

 驚いたように苑輝は視線を下ろすが、そんなはずはない。しかしリーリュアは確信を持って頷いた。

「きっとそうです。陛下にそっくりの逞しい男の子です」

「私は百合のような、豊穣を約束してくれる黄金の髪と緑の目をした愛らしい娘でもいい」

 穏やかな表情の夫の傍らで、心地よい風と微かに届くユリの香の中。リーリュアは、これまでの目まぐるしく過ぎた年月を思い出す。
 ふたりのそれが重なる期間はまだ短いが、嬉しさも哀しみも、密度の濃い日々だった。

「……百合」

 リーリュアが下ろしていた瞼を開け、ゆるりと首を持ち上げる。

「おそらく私は、そなたより先に逝くことになるだろう」

「陛下っ!?」

 唐突に持ち出された宣告に、リーリュアは柳眉を逆立て咎めるように睨み付けた。

「まあ、そう怒るな。もちろんいますぐのつもりはない。ただ、自然の理としての話だ」

 四十に手が届いた苑輝のほうが、まだ二十代半ばのリーリュアよりも先に死ぬ。理屈ではわかる。だがたとえその日が訪れたとしても、受け入れることなどできないだろう。
 人の命はものではない。

「私の成すべきことを成し、あとは遺す者に任せることができると納得したら、無理に生を延ばそうとは思わない」
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