愛し君に花の名を捧ぐ
 もとがそれほど大きくはないアザロフの王城に人が増えたが、リーリュアたちの生活にさほど変わりはない。

 あちこちで火の手が上がった城下にも人が戻り始め、着実に復興の道を歩んでいた。

 驚いたことに、戦死者の埋葬や瓦礫の撤去など自国の民でも躊躇うような仕事を、率先して葆の兵士たちが手伝っているという。

 占領地で当然のように行われる略奪などの非人道的な行為の報告も、あがってきてはいないようだ。

 よほど大将である琥苑輝の指揮が行き届いているようだ、とは、戦闘で左肩を負傷し腕を吊っている一番上の兄の談である。ときおり痛みと悔しさに顔をしかめながらも、敵将の手腕を讃えていた。

「姉さまは、本当に遠くへお嫁にいってしまうの?」

 いくら父や兄が相手を褒めそやしても、リーリュアにとっては、大切な自分の国を戦場にした張本人だ。そんな人のところへ嫁がなければならなくなった大好きな姉が、心配で仕方がない。

「そうね。ちょっと寂しくて怖いけれど、それが私にしかできない役目なら、喜んで葆へ行くわ」

 この国に生まれた王女は、幼いころからそう言い聞かされて育てられるのだ。リーリュアも、自分が年頃になればこの国ではないどこかへ嫁ぐことになるのだろう。それに疑念は抱かない。
 ただ、あの皇太子が姉を預けるに信用してもよい人物だと、この目で確かめたかった。


 リーリュアは事後処理で人の多い城を飛び出す。誰にも告げてこなかったが、いつものことだ。

 獣道を通って城の裏山を登っていくと、見晴らしのいい場所に出る。秋が深まってきた山の空気はひんやりと心地好く、小さな胸いっぱいに吸い込めば、心の中のもやもやが晴れていくような気がした。

 人の声と下草を踏む音が聞こえてくる。

 もう誰かが探しに来たのかもしれない。リーリュアはあと少しの間解放感を満喫したくて、隠れる場所を探す。
 ぱっと目に付いた枝ぶりのいい木によじ登り、葉陰に身を潜めて息を殺した。

『本当だ! ここから王都全体が見渡せるんですね。明後日には出発でしたっけ?』

『ああ。一度宮処《みやこ》に戻り、父上にご報告しなくては』

 やってきたのは、葆の皇太子と通訳の少年だ。リーリュアは、出してもいない声を飲み込むように口を手で塞ぐ。
 ちらりと少年がこちらに視線を向けたようだが、また主《あるじ》へと戻した。


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