闇に紛れてキスをしよう







西野先生の指が「52」のボタンに触れて、それと共にエレベーターの扉が静かに閉まっていく。


誰も言葉を発さない、居心地悪い空間の中で唯一、癒しの田中さんだけがクスクスと小さく笑い続けている。


私が体を捩じったり前後左右に揺らしながら、何とか逃げられないかと悪あがきをしていたのもあったけれど、彼にとっては別の理由もあったみたいで。




「……なに笑ってんすか、おじさん」

「いや、驚くだろーな、と思ってね」

「だろうね」




坂井さんの言葉に続くようにエレベーターの扉が開いて、目の前には私の部屋以上の広さがあるんじゃなかろうか…って位の広さの、玄関なの?エントランスなの?って場所が現れて。


その中をすたすたと迷いなく進んでいく坂井さんと西野先生に続きながら、私を担いだままの田中さんは、尚も平然と歩いている。


アイボリーの壁と天井、真っ白な廊下が真っ直ぐに続いていて、いくつものドアの前を通り過ぎている間、あまりに自分の現実とのギャップを感じて軽く眩暈を感じつつ。




「……んんっ!!」

「ふぃ~、やっぱ人間担ぐのはつれーな」

「自業自得って言葉、知ってます?」




ぽいっ…とソファの上に放り投げられ、視界が半回転したからか、ちょっとクラ…っときてソファに倒れ込むと。
田中さんの愚痴と西野先生のうんざりしたような声が聞こえてきた。


恐る恐る今いる場所を見回せば、おそらくリビングですよね…と感じざるを得ない位に広い空間が目の前にあって。


大きめのローテーブルと、それを囲むようにして置かれているソファ、大型のTVと壁面に埋め込まれるように並んでいる天井までの本棚…。


背後からはガチャ…と、恐らく冷蔵庫を開けたであろう音が聞こえて、その方向に視線を向ければ、カウンターバーみたいになっている場所で坂井さんがグラスを傾けていた。




「んふふっ」




急に近距離から聞こえてきた笑い声に、全身をビクッと揺らして、ギギギ…と音でもなってそうな振り返り方をしてみれば、30cmも無いだろう距離に、田中さんのふにゃふにゃした笑顔があった。




「あんたも呑気なモンですね…」




その田中さんの後ろには、『仁王立ち』という言葉がぴったり嵌るほど、腕を組んで般若のように私を睨みつけている西野先生の姿。


間違いなくご機嫌が斜めになっている西野先生の顔を見ながら、私が思い出したのは彼らがヘリポートでしていた会話だった。






< 9 / 19 >

この作品をシェア

pagetop