偽りの先生、幾千の涙
榎本果穂は何が起きたのか理解が追い付かないのだろう。
普段は律儀な子なのに、お礼も言わずに前を向く。
別にお礼なんて求めていない。
今回に限って言うなら、打算でやったわけではないからだ。
それに突然、それも疑わしい人物に助けられたら、誰だって困惑するだろう。
それから10分程、俺と榎本果穂は話さなかった。
相手が何を考えているなんて分からない。
でも今日は余計な事を考えずに見守ってやろうと思った。
こんなチャンスは滅多にないが、話しかけるチャンスなら今日でなくても作れる。
電車から降りると、榎本果穂はキョロキョロと辺りを見回していた。
男がいなくなった事を考えると、探しているのは俺だろう。
「もしかして俺の事探してる?」
ちゃんと目の前に立ってやった。
その表情にはまだ恐怖が残っている。
俺のせいか、男のせいなのかは分からないけれど。
「はい…あの、さっきは助けていただいき、ありがとうございました。」
急に現れた俺に驚いているようだけど、今回はきちんとお礼を言ってきた。