偽りの先生、幾千の涙
「どうした?
座っていいんだよ。」
キョロキョロしている私に、伊藤は椅子を差し出す。
「机なしでもいい?」
「はい。
椅子があれば十分です。
ありがとうございます。」
私は伊藤に一礼すると、用意された椅子に腰かけた。
伊藤の方を向かないように、机には背を向けていて、正面にはドアがある。
タブレット端末は全く見えないが、家に帰りたくないという願望は叶った。
今日はこれで良しとしよう。
伊藤が何かを広げるのを音で感じながら、私は単語帳を開いた。
あとは適当にやり過ごそうと思っていた。
「榎本さん、今日は何時帰り?」
だけど作業中の伊藤が話しかけてきて、そうはいかなくなった。
「まだ決めていません。」
「あんまり遅くなったら危ないから、適当なところで帰るんだよ。」
「はい。」
家が私にとって一番危険なのだが、伊藤に言えるわけがなく、返事をして単語帳を捲る。
「あと、絶対にこっち見ないでほしくないから、何かを落としたりしたら言って。
俺が取るから。」
「テストみたいですね。」