偽りの先生、幾千の涙
30秒程経ってから、俺もマンションに入る。
煌びやかで広々としたエントランスには、俺の望んだ光景が広がっていた。
「お父様、お待たせして申し訳ありませんでした。」
「構わんよ。
連絡を入れずに、予定より早く帰ってきたのは私だ。
だが…もう少し早く帰ってこい。
今は夏だから明るいが…こんばんは。」
俺が榎本悟朗の視界に入ったのだろう。
被っていた帽子を取って、こちらに頭を下げてくる。
榎本果穂もつられて頭を下げた。
「こんばんは。」
「こんばんは。
お先に失礼します。」
榎本果穂など知らないかのように俺は振る舞い、彼女達の横を通り過ぎる。
すると、榎本悟朗も帰る気になったのだろうか。
後ろから足音が聞こえてくる。
俺は口角を上げ、鞄のポケットに忍ばせていた小型の盗聴器に手を伸ばす。
榎本果穂に近付かなくても、暫くは榎本悟朗をターゲットにすればいい。
せっかく同じ敷地内にいるのだから、時間は有効に使わないと。
俺は珍しくエレベーターのボタンを押した。
幸運な事に、上層階に向かって動いているエレベーターは暫く来ない。
近付く足音にウズウズしながら、俺はエレベーターが下りてくるのを待っていると、目的の人物は俺の望むように後ろに立った。