偽りの先生、幾千の涙


生徒達の壁をくぐり抜けて、音楽室から抜け出す。


湿気で重くなった空気が充満する廊下に出ると、俺は大きく息を吐いた。


胸糞悪いとはこの事だ。


音楽教師に対してもだが…頼ったのがよりにもよって榎本果穂だなんて…しかもおかげで助かった。


助かったから今こうして歩いていられるし、音楽室という牢獄に入っているのも不快で堪らないのは事実だ。


「本当に弾けたんですね。」


俺はハッと顔を上げる。


階段へ続く曲がり角に、榎本果穂は立っていた。


「…榎本さん、先に帰ったんじゃなかったの?」


「帰るつもりでしたけど、どうしても伊藤先生に一言申し上げたくて、皆さんと別れて待ってましたの。」


言葉はいつものものだった。


取り繕った敬語、水仙女子一の優等生である榎本果穂のものだ。


でも表情が違う。


笑っているのだ、愛想笑いではない。


心に溜まっているものを隠しきれていない笑顔だ。


「どうしてもって。」


「これで貸し借りなしって事でよろしいですよね?
今日は私が助けた立場ですから。」


< 213 / 294 >

この作品をシェア

pagetop