偽りの先生、幾千の涙
生徒達の壁をくぐり抜けて、音楽室から抜け出す。
湿気で重くなった空気が充満する廊下に出ると、俺は大きく息を吐いた。
胸糞悪いとはこの事だ。
音楽教師に対してもだが…頼ったのがよりにもよって榎本果穂だなんて…しかもおかげで助かった。
助かったから今こうして歩いていられるし、音楽室という牢獄に入っているのも不快で堪らないのは事実だ。
「本当に弾けたんですね。」
俺はハッと顔を上げる。
階段へ続く曲がり角に、榎本果穂は立っていた。
「…榎本さん、先に帰ったんじゃなかったの?」
「帰るつもりでしたけど、どうしても伊藤先生に一言申し上げたくて、皆さんと別れて待ってましたの。」
言葉はいつものものだった。
取り繕った敬語、水仙女子一の優等生である榎本果穂のものだ。
でも表情が違う。
笑っているのだ、愛想笑いではない。
心に溜まっているものを隠しきれていない笑顔だ。
「どうしてもって。」
「これで貸し借りなしって事でよろしいですよね?
今日は私が助けた立場ですから。」