偽りの先生、幾千の涙


「…てっきり嘘だと思ってました。
チェロが弾けるのも。」


懐かしい事を思い出していると、榎本果穂の言葉が邪魔をする。


彼女はさも当然のような顔をしている。


「酷い事言うな。」


「そうですか?
本当の事を話さないご自身が悪いと思いますけど。」


「榎本さんに言われたくないな。」


俺はそう言うと、榎本果穂の横を通って階段を降りる。


真ん中あたりで振り返ると、彼女の姿はもうそこにはなかった。


「てっきり嘘だと…か。」


その点について、俺が榎本果穂を責める事も、逆に彼女が俺を非難する事もできない。


俺達はそうやって、ついこの間まで接してきたし、他人に対しては今もそうだ。


そしてそれに関して、罪悪感というものを少しも抱いていない。


さて、こんな事をいつまで続けるのか…父さんはもうすぐ事を起こすと言っていたけど、それが終わるまでだろうか。


あれから父さんは何も教えてくれない。


毎日色々と報告しているんだから、少しぐらい教えてくれてもいいじゃないかと思うが…


そんな事を考えていた日の夜、父さんから電話がかかってきた。


いつもは俺から父さんに連絡するのに、変だとは思った。


何かが大きく動いたか、状況が不味くなったのか、考えられるのはどちらかだった。





< 218 / 294 >

この作品をシェア

pagetop