偽りの先生、幾千の涙
マンションのエントランスまではあっという間だった。
エントランスに入ると、警備員さんが出迎えてくれて、挨拶をしてエレベーターへ向かう。
エレベーターの前に着くと、私は何も考えずにボタンを押そうとした。
「帰れる?」
ボタンに触れるか触れないかの瀬戸際で、伊藤が声を掛ける。
私はその言葉に振り返る。
オレンジ色の照明が伊藤の顔を照らしている。
こんなにじっくりと伊藤の顔を見たのは、初めて会った時以来だろう。
「帰りますよ?
どういう事ですか?」
「…榎本さん、家に帰っても1人だろ?
不安じゃない?
…ご飯でも食べに行く?」
もしかして、本気で心配してくれてる?
それともこれも本当は演技?
分からないけど、ここでホイホイ着いていって、同級生にでも見付かったら大変だからやんわりと断る。
「大丈夫ですよ。
お気遣いいただきありがとうございます。
それにさっき言いそびれてしまいましたけど、先生に助けていただいたので、大丈夫なんですよ。
本当にありがとうございます。」
あんな目には何度も遭っている。
気持ち悪かったけど、あの程度なら慣れてしまったのが現実だった。