戸惑う暇もないくらい
エレベーターを降りると地下の従業員用入り口へ向かい、社員証をかざして外に出る。
出口は駅へ向かうコンコースになっており、休日というのもあってか人の流れが多かった。

何も言わない藤島さんの後を追うも足取りが重く感じる。
エスカレーターに乗り地上へ出ると一気に大量の車の駆動音と人々のざわめきが耳に飛び込んできた。
巨大な交差点を越えてしばらく歩き、メイン通りから一本外れたところの店の前で藤島さんが立ち止まる。
チェーン店でもなく、個人経営の喫茶店のようだった。

藤島さんがドアを押すとカランカランと懐かしいベルの音が響く。
音に気付いてカウンターに立っていた口ひげのマスターが藤島さんを見て眉を上げ、穏やかな声で「いらっしゃい」と声をかけた。
藤島さんは目線を返し、奥の席へ歩いていく。そのやり取りで藤島さんの馴染みの店なのだと察する。

コーヒーの良い香りに少しほっとした気持ちになり、藤島さんについて窓に接した奥の席へ進んだ。

「よく来られるんですか」
「たまにな。ここのコーヒーが好みなんだ。…あと、サンドイッチも旨いぞ」

席についてメニューを勧める藤島さんの顔は少し意地悪な色を含んでいて、ついさっきの出来事を思いだしてまた少し頬が赤くなるのが分かる。

「…それにします」

そう言うと藤島さんはサンドイッチにコーヒーを二つ注文した。

「君とこうして向かい合うのは久しぶりだな」
「…そうですね」

藤島さんと初めて会ったのは21歳の時。
社会に出たてで右も左も分からなかった私に、仕事の厳しさとやりがいを教えてくれた人。

そして、恋の楽しさと辛さを教えてくれた人。

あの頃はまたこうして二人で会うなんて思いもしなかった。
今こうして落ち着いて向かい合えるのはそれだけ大人になったということ。
何より、那智の存在があるからだ。

コーヒーが目の前に置かれ、香ばしい黒い液体から白い煙が上るのを見て膝に置いた手をきゅっと握り締めた。

「藤島さん、周りに聞かれたくないお話って…」
「あぁ」

熱々のコーヒーに口にし、持ち上げたカップをソーサーに置いて藤島さんは私の目を見つめた。

「週明けには分かることだ」

心臓が締め付けられそうに苦しくなる。
聞きたくないけど、現実からは逃げられない。

「肌着内で異動があると言ったな」
「はい」
「井出マネージャーが名古屋に異動だ」
「え」
「代わりに俺が肌着のマネージャーに着任する」
「え…?」

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