鎖骨を噛む
6 世界を広げる2つの目





おじさんは、高倉さんと言うらしい。元々は、大型ショッピングモールの店長をしていたらしい。高校を卒業して、入社した会社で、お盆もお正月も仕事漬けだった約40年間がそうさせたのか、いざ、定年退職してみると、自分に趣味がなかったことに気づいて、フォークダンス、ジャズ、登山、サウナ、旅行……etc.といろんな趣味をしてみたけど、結局、釣りが一番自分に合っていたらしい。



おじさんと釣りをしながら、私も自分のことを話した。高校卒業してから、なんとなくの思い付きで上京してきたこと、コンビニでバイトをしていること、100均が好きなこと、そして、趣味がないこと……。さすがに、ムルソーさんの話はしなかったけど、上京してからここまで誰かに心を開いたことは、同じバイトの先輩、リャンさん以来2人目かもしれない。



「無趣味なのは別に悪いことだとは思わない。でも、おじさんもそうだったけど、無趣味で、何もせずに家にずっといると、まるで時間が止まったような感覚に陥るんだ。心臓は動いているのに、笑うことも、泣くこともない。ドキドキハラハラもない。すると、心が荒んでいく。脳が信号を出すんだ。『ああ、この心はほとんど使われてないから、放っておこう。』といった風にね。」



私は小さいムカデみたいな餌を釣り針に刺しながら、なるほどなと思った。私の心はすでに荒んでいるんだ。普通、私くらいの女子なら、こんな小さなムカデみたいな餌を触ることなんてできないはずだ。気持ち悪がって。でも、私は不思議と平気だった。気持ち悪いという気持ちが私にはないのか、それともこの小さなムカデみたいな餌を気持ち悪いと思わないだけなのか、わからないけど、平気で触れる。平気で触れることに気づいた時、私は自分のことが更に嫌いになった。



竿を投げる。ビュンッと音を立てて、やがて、ポチャンと落ちる。あとは、欄干に立てかけておいて、竿がビクビクッとすれば、リールをグルグル回せばいい。



釣りって呑気でいいなあ。時間を忘れられる。陽はすっかり沈んで、スカイツリーがライトアップされて、それをボーッと見ているだけで、私は今、何かしてるんだって気持ちになる。もし、縁側のすぐ目の前に川があって、今みたいに釣りをしながら、熱いほうじ茶を呑めたら、どんなにいい老後だろうって思う。おばあちゃんみたい。まだ大人にもなってないのに、変なの。




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