鎖骨を噛む
「今日もその佐藤さんと同じシフトなんです。一昨日も一緒で、バイト終わりでバックヤードで着替えてたら、佐藤さんから食事に誘われたんです。私、断ったんですけど、しつこくて……。しつこい男、苦手なんです。今にフリーターから立派なストーカーになるんじゃないかって、私は踏んでるんですよねー。」
どうしてだろう。愚痴しか出てこない。愚痴が止まらない。
「しかも、オーデコロンか何かを振ってて、それがすっごく臭いんですよ。例えるなら……線香みたいな匂いです。お饅頭とかみかんとか死んだおじいちゃんとかを思い出しちゃうんですよね。なんであんな臭いもの振ってるんだろう……。」
やばい。こんなことムルソーさんにとっては、知ったこっちゃない話だ。自分のことをベラベラ話す人ってだけでも醜いのに、今の私は、自分の愚痴を一方的にベラベラ話してる、酷く醜い人になってる。
「ムルソーさんって、タバコ吸いますよね?」
まずいことを訊いてしまった! 黙っていようと思ったのに、愚痴に乗せて喋ってしまった。
カメラが仕掛けられていることがわかったあの日から、玄関を開けると、むわっとタバコの匂いが漂ってくるのだ。私はタバコなんて吸わないし、服にも付いてないはず。人の出入りがあるとしたら、ムルソーさんだけで、つまり、ムルソーさんはタバコを吸ってるってことになる。
そういえば、犯行の前に気持ちを落ち着かせるためにタバコを吸うって、何かのサスペンスドラマで観たことがある。もしかしたら、ムルソーさんもそうやって、気を落ち着かせていたのかもしれない。
「バイト先のコンビニでもタバコ売ってて、よくお客さんが買いに来るんです。番号で言ってくれる人はいいんですけど、中には銘柄で言ってくる人もいて、私、タバコ吸わないんで、よくわからなくて、あたふたするんです。」
愚痴になっちゃったけど、上手く話をシフトした。本線に乗った。よくやった、私!