鎖骨を噛む





「りささん。私なんかのために、ノートまで準備して頂いて、すみません。」



思えば私たちって、お互い謝ってばっかりだな。まあ、それはそれで、お互い気を使える常識を持った人間だってことと同時に、私たちの距離がそれだけ離れているってことだ。



「名前の由来についてですが、これは、私が好きな小説の主人公から取りました。この主人公は、嘘が付けない性格で、世渡りが下手な、悲劇の主人公なんです。そういうところが私と似ていると思ったんです。」



嘘が付けなくて、世渡りが下手な、悲劇の主人公かあ……。私とはちょっと違うかもしれない。私は平気で嘘を付くし、そこに罪悪感を感じることもない。自分の都合のいい嘘で塗り固めた人生だ。でも、それをわかっていて、認めているところは、本心で、もしかしたら嘘付きと正直者は紙一重なのかもしれない。



「釣りの話。いいですね、釣り。私の地元には、瀬戸内海があって、よく小学生の頃、自転車を漕いで海に行って、友達と魚釣りをしていました。東京に来てからは、釣りをすることもなくなりましたが……。さすがに一緒に釣りをすることはできませんが、りささんの話を聞いて、昔を懐かしむことができました。あの頃は、盗撮をするなんて思ってもみませんでした。」



純粋な少年だったんだろうなと思う。いや、ひょっとしたら少女かもしれないけど、魚釣りをする小学生と言えば、少年だろう……ん!? 瀬戸内海!?



私の地元、広島にも瀬戸内海がある。瀬戸内海に面している県は、限られている。もしかしたら、私の地元とムルソーさんの地元はものすごく近いのかもしれない。



「バイト先にそういう人がいるんですね……。でも、社会というものは、嫌いな人もいて、その人とも上手くやっていかなきゃいけないものなんだと思います。嫌で片付けるだけじゃなくて、その人の良さを探すように努力するといいかもしれません。」



おっしゃる通り。正論。でも、それができないから、困っているのよ。初めからそれができたら苦労しない。




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