鎖骨を噛む
家に帰って、それから私は、ムルソーさんの返事が書かれている大学ノートに書いた、「ムルソーさん捕獲大作戦☆」を今一度、復唱した。
「まず、私は押入れの中に隠れる。」
これは、ムルソーさんに見つからないためだ。
「その時、ロープを持っておくこと。」
これは、ムルソーさんを捕まえて縛り上げるため。
「それから、ムルソーさんが背を向けた瞬間に、後ろから抱き着いて、ロープを結ぶ。」
最後の項目を読んで、私は首を傾げた。文字にして、それを頭の中で想像するのは簡単だけど、想像通りに世の中が進んでいけば、政治の問題とか、そういうものはすべて解決しちゃうはずだ。解決しないのには、理由があるから。その理由は、「想像通り事が運べば誰も苦労しない。」ということだ。つまり、私のちっちゃい脳みそをフル回転させて考えた「ムルソーさん捕獲大作戦☆」は、机上の空論、絵に描いた餅になる可能性を秘めている。
上手く行くだろうか……。でも、こればっかりは、やってみないとわからない。状況にもよる。ムルソーさんがナイフを隠し持っていたら、ロープを切られてしまう。ロープを切ったナイフが次の瞬間には、私の胸に刺さることも有り得る。ただ、ナイフでロープが切れないことも考えられる。そもそもナイフなんて持っていないことだって考えられる。いろんなことが考えられる。頭のいい人は、その場の状況に応じて、作戦を立てるのだろうけど、私にはそんなことはできない。頭がパンクするだけだ。
死ぬ気でやろう。人間はどうせ死ぬために生まれてくるんだ。だって、人間は必ず死ぬんだから。いわば、人生とは、生まれた瞬間に、電車に乗って、「死」と言う名の終着駅までの暇つぶしのようなものだ。電車の中での過ごし方は、人それぞれで、本を読む人、音楽を聴いて過ごす人、寝る人、友達とおしゃべりをする人、スマホのゲームをする人。中吊り広告を眺めて過ごす人もいる。言い換えれば、医者になる人、俳優を目指す傍ら、焼肉屋でバイトをする人、働かないで、親の仕送りを頼りに生きてる人、家族のために、家事をする人と同じことだと思う。人生は、電車の中での時間の過ごし方と同じで、人それぞれ違う。死ぬ時期が人それぞれ違うのと同じで、降りる駅も違う。お腹が痛くなって、本来降りるはずじゃなかった駅に途中下車する人もいる。これは、自殺と同じこと。
人生って結局、死までの暇つぶしに過ぎないの。その暇つぶしをいかにして有意義に使えるか、それが人生ってやつ。