鎖骨を噛む
まさかの後者。これまたびっくり仰天。頭の打ちどころが悪くないと、あんな言葉は出て来ないはずだ。少なくとも彼は、このマイプライベートルームに5回は訪れている。にもかかわらず、「ここはどこだ?」なんて、信じられない。開いた口が塞がらないとはこのことだ。
「キミがオレを拉致してきたのか?」
「拉致?」
ああ、そうか。彼は私にしたことすら覚えてないんだ。だから、この状況だけで判断すると、彼は自分が盗撮魔だってことも知らないし、私と文通のようなことをしたことも、私に逆上したことも知らない。私に拉致監禁されていると思っている。無理もない。ある朝、目を覚ましたら知らない部屋にいて、ロープで拘束されていたら、誰だってそう思うに決まってる。
だったら、その消えてしまった記憶を利用してやろう。抹消して、新しく塗り替えてやろう。これが私なりの復讐というか、修復。私がもし100均でふっといつっかえ棒を買っていなかったら、きっと逆の立場か、殺されていたかもしれない。でも、私は彼のことが好きで好きでたまらなかった。顔もタイプだし。そして、幸か不幸か、彼は私との記憶を失っている。だから、都合の悪い記憶をなかったものにして、彼ともう一度やり直す。復讐の修復と書いて、「讐復」。我ながらいいネーミングセンスだなあ。
「喉が渇いたんですか?」
「ああ。酷く。」
私は、冷蔵庫から新しいコーラを出して、それをまた新しいワイングラスに注いで彼の前に置いた。
「すまないけど、飲ましてくれるか、このロープを解いてくれないかな?」
解くことはできない。私は彼の口元にワイングラスを持って行った。彼は、喉を鳴らしながらコーラをゴクゴク飲んだ。よっぽど喉が渇いてたんだと思う。でも、不思議。彼は、ほんの1時間ほど前に自分で淹れた紅茶を飲んでいたはずなのに。
「ああ、ありがとう。」
彼の唇がコーラで潤っていて、口の端から茶色い線ができていた。私は、自分のスウェットの袖でそれを拭ってあげた。なんかこういうのいい。