世子様に見初められて~十年越しの恋慕
身支度を整え終えたヘスは、広い板の間(デチョンマル:資善堂の前面中央に位置する三間続きの部屋)の裏の長廊下をゆっくりとした足取りで進み、反対側の居室(資善堂の南西に位置する世子嬪の居室)へと。
扉の前で一旦足を止め、小さく息を吐く。
すると、世子嬪付きの女官が嬉しそうな表情で声を上げた。
「嬪宮(世子嬪の呼称)様、世子様のお越しです」
「お通しして」
白い戸の奥から透き通った声がし、女官の手によって静かに戸が開かれた。
今宵は、世子夫妻の床入りの日。
世継ぎを授からなければならない身ゆえ、世子夫妻の床入りは国事そのもの。
決して、逃げることも避けることも出来ぬ一大行事なのである。
ヘスが世子嬪の部屋に入ると、静かに戸が閉まり、女官たちの足音が少し遠のいていく。
王と違い、世子夫妻の床入りは、少し寛容なのだ。
本来ならば、部屋のすぐ外で女官たちが待機し、いかなる場合も対処できるようにしなければならない。
本来であれば、寝所で密約が交わされぬように情事を聴き耳立てているはずだが、世子夫妻はまだ若い。
しかも、国婚を経て五年が経過しているにも関わらず、未だに世継ぎに恵まれていないこともあり、王妃の采配で、温かく見守ることとなっているのだ。
とはいえ、完全に屋外で待機している訳ではない。
ある程度の距離を保ち、声が掛かればすぐに駆け付けることの出来る場所にいるだけ。
それだけに、二人の間に緊張が走る。
寝床の脇に小膳が用意されており、世子嬪のダヨンはその脇に静かに腰を下ろしていた。
「今日は何をしていたのだ?」
「はい、世子様。今日は、来月御誕生日を迎えられます王妃様の為に、押花をしておりました」
「左様か。月日が経つのも、………あっという間だな」
「そうでございますね」
ヘスは膳を囲むようにダヨンの目の前に腰を下ろし杯を手にすると、ダヨンは慣れた手つきでゆっくりと酒を注ぐ。
お互いに白い寝衣を身に纏い、いつもより薄暗い室内で言葉数少なく、自然と視線が交わる。
喉を鳴らしながら酒を飲み干したヘスは、膳を静かによけて、ダヨンの腕を掴んで引き寄せた。