世子様に見初められて~十年越しの恋慕
例え娘であっても世子嬪様に対し、御体に関してどうこう容易く口にしてはならない。
それは暗黙の了解のようなもので、体調不良だという噂が広まりでもしたら、それこそ国が傾きかねない事態に発展するからだ。
だが、別の意味合いで顔色が優れないのであれば……そう思ったヨンギルは、娘の様子を窺った。
すると、ダヨンは突然大粒の涙を流したのである。
嗚咽が漏れるほど泣き崩れるダヨン。
そんな娘をそっと抱き寄せ、ヨンギルは優しい声音で語り掛けた。
「心より御祝い申し上げます」
「お許しっ………下さいっ、父上」
泣き崩れながらも必死に許しを請うダヨン。
ヨンギルはそんな娘の背を優しく擦る。
嫁いで十年、世子が成年の儀式を済ませ早五年が経っている。
世間では今か今かと待ち望むお世継ぎの問題。
まだ若いという事もあり温かく見守っているが、さすがに五年の月日は長く。
巷では仲が良くとも相性が良くないのでは?という噂まで立っていた。
元々向上心も野心もそれほど無かったヨンギル。
名のある両班の家柄ではあったが、文官の家系という事もあり、権力争いを避けて来た。
そんなヨンギルに目を付けたのが、議政府(ウィジョンブ:朝鮮王朝における国政の最高機関)の重鎮でもある領議政(ヨンウィジョン:議政府の最高官、現在の内閣総理大臣)のチョ・ミンジェである。
チョ・ミンジェには三人の息子がいるが、娘には恵まれず。
遠縁の娘を養女として迎え入れ、嫁がせることも可能であったが、そうとなれば朝廷の第一線から身を引かねばならなかった。
朝鮮王朝において王族と婚姻関係を結ぶという事は、実権を手放すという事を意味している。
それゆえ、ミンジェは自分の息のかかった者の娘を差し向け、更なる権力を手に入れようとしたのだ。