世子様に見初められて~十年越しの恋慕


翌日の未時(ミシ:午後一時から三時頃)の刻。
母親の言いつけにより、入宮の際に持参する物に自分の印となるケナリ(れんぎょう)の花を刺繍していると、

「お嬢様っ!」

部屋の外から急に声が掛かった。
何事かと思い、戸を開けると。
使用人のミソンが慌てた様子で目配せしている。
それを辿るように視線を向けると、そこには宮女(クンニョ:女官)らしき女性が一人。

「お嬢様、王宮から使いの者が……」

ミソンは声を潜めながらそっと文を差し出した。
ソウォンはすぐさまその文に目を通すと、そこには急ぎ知らせたい事があるゆえ、王宮に来て欲しいという。
勿論、差出人は世子様。
急ぎ知らせたい事とは何だろう?
文にしたためる事が出来ぬという事なのだから、余程重要な事なのかもしれない。

母親には部屋から一歩も出なるなと命じられてはいるが、流石に世子様の命を無視するわけにもいかず。
ソウォンは急いで支度を整えると、門の前には輿が用意されていた。

輿に乗り、王宮入りとなれば、それなりの名分が必要となる。
まだ入宮したわけでもないソウォンにとって、王宮の門をくぐることは一大事。
輿に乗り込んだソウォンは、胸元に手を当て、潜めた文を失くさぬようにと、静かに瞼を閉じた。

自宅を後にし、暫くすると、息詰まるような女人の声が一瞬した。

「何かあったの?」

何事かと思ったソウォンは輿の小窓をそっと開け、使用人のミソンに声を掛けると、

「ご心配には及びません。下女が躓いただけですので…」
「……そう。それならいいのだけれど……」

ソウォンの問いかけに、宮女が答えた。

「人目もありますので…」

宮女は軽く一礼すると、小窓をそっと閉めた。
そんなごく僅かな間に、ソウォンの脳裏に不安が過った。



「ここは、何処?」


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