世子様に見初められて~十年越しの恋慕
ほんの僅かな瞬間だけれど、小窓から見えた景色が見慣れた景色では無かったのだ。
漢陽(ハニャン:現在のソウル)の中心部に位置するソウォンの家から王宮までの道のりならば、うっそうと茂った森のような場所は通らずとも辿り着く。
緊張のあまり、どれほどの時が経ったのか分からない。
世子様から文を頂いて、気が大きくなっていたのだ。
待って……。
もしかして、この文も……。
ソウォンは胸元に潜めた文を取り出し、今一度それを広げた。
よく見るのよ、ソウォン。
何かおかしな所があるはずよ。
自分自身に言い聞かせるように深呼吸しながら文に目を通すと。
「違う……、世子様の筆跡では無い」
急ぎの文と聞いて、文字に目を向ける事を怠ってしまった。
目の前の文の文字も達筆ではあるが、払いや止めが少し力み過ぎている。
世子様の文字はいつだって聡明で、優しい言霊を含んでいるのだ。
それに………、文から白檀の香りがしないのだ。
「一体、どうしたらいいの?何処に向かってるのかしら?」
背筋が凍り、総毛だつ。
文を持つ手が震え始めた。
先ほどの息詰まるような女人の声は、恐らく自宅から連れて来たミソンの声だろう。
自分を何処かに連れ出すのに邪魔だと、手に掛けたに違いない。
ソウォンは深く深呼吸し、心を落ち着かせる。
取り乱しても仕方ない。
自分をかどわかすには、それなりの目的があるからだ。
ユルとチョンアが商団の倉庫にいる事を認識した上での呼び出しだとすると、こちらの動きはお見通しという事。
ならば、足掻いても逆効果。
誰だか分からないけど、狙いを探らねば……。
ソウォンは何事も無かったかのように文を胸元に戻して、静かに瞼を閉じた。